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目が潰れた

すいません、あまりの女神の美しさに目が潰れました。
すでに神様を誉めたたえる祝詞しか口から出そうにございません……。目も潰れた。あまりに美しすぎて。神様を生で見ると目が潰れるんだよ、畏れ多くて。

といいながら思いついたメモを以下に。本誌の感想とかではないです。 まず犬の名前が次郎ってのは「南極物語」のタロジロだろう。
燕が「小次郎」なのは勿論刀、燕、ときたら佐々木小次郎だわな。バガボンドでも大河の「武蔵」でもやってましたが、佐々木小次郎が自分の剣をあみだすためにウミツバメを相手に剣を振るっていた、というのは有名な話だし、刀といったら武蔵と小次郎は外せない。
二刀流~多刀流というのも武蔵かなぁ…。

一代目が日本に来たのは年代的に幕末~明治初期あたりかと思っていたんですが、思っていたより早いかも。幕末の15年くらいは日本にばんばん外国人が来ていて、中には政府や各藩の軍自指南や通詞(通訳)として結構もぐりこんでいたので、初代その中に入ってたのかな~。
商人(もちろん軍事の)も薩摩や長州、幕府や朝廷に取り入って、あちこちで国対決でやってた時代からんな~。まぁメインはフランスとイギリスとアメリカだったんだけど(笑)。
位置的に一代目はフランス海軍関係で紛れ込んで日本に来たのかな? 当時のイタリアの国の内情を考えると難しいところだけどさ。

外国人と仲がよかった公家ってんだから、立場としてはどこらへんなのかな…岩倉具視のほう?(孝明天皇は外国人好きじゃないから違うと思うけど)
公家の正装は烏帽子に水干、太刀に沓履きだし、たしなみとして歌舞音曲を嗜んでいるのは常識かな~って気もするので、まぁ浅利のネタとしてはありかとも思いますが。(でもあの烏帽子は江戸時代はもっと短くないか? 公家はすげー貧乏だったから、大名に娘を嫁がせてそこからの援助でもってたようなところがあったしなー)
でもこの笛と刀のエピソードって、平家物語の青葉の笛の話の話とか入ってないかね…?(考えすぎ?)
刀大好き公家といったらやっぱり後醍醐天皇とか、後鳥羽上皇とかが思いつくんですが(笑)。←刀大好きが高じて、自分の刀自分で打っちゃったのは後醍醐のほうだったか?
つか笛で太刀と小太刀3本って相当の名品だじゃないんだろうか…。 
幕末はその手の品物は外国人が二束三文で買って本国に持っていってしまったものが多いので、その中にまぎれてしまったのかもな~~。
基本的に笛は竹なので、手入れしないと長持ちしないし、日本の笛は音出すのに大変なコツが必要だっていうから、海外では案外評価が低いはず…絵画や陶器と違って、あるだけではその真価が発揮されない工芸品だからなあ。(奏者と対になって真価をえるものは、奏者がいないと真価がわからないからね…)

それにしても家庭教師はあんなに美しいのに立ち姿がぞんざいでねぇ……14は未遂(このあとやっちまったかもしれんが)だろうが、24は……やってるよなぁ……ごめん、それに関してはなんかこう…ボスちゃんには悪いけど…悪いけど……未遂じゃねぇよなぁ……と思わざるを得ないぜ……。
あれで未遂だったら確かにタケシは聖人だと思うよ…そんなタケシはいねーとは思うがな。というか自分がタケシだったら玉砕覚悟でお願いするよ、もう絶対するよ。しない選択肢が思いつかないよ……。ああ、罪深い人妻過ぎる…(人妻違う)。

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