3月13日 当日家に置き忘れたラリー用ペーパーに掲載する予定だった小話です。 珍しいものを見つけた。 その日はどうにも気分がのらなくて、仕事も早く片付いてしまってすることがなかった。幹部は半分不在で屋敷にいなかった。最近少し気分が滅入っているせいかもしれないと思いながら、掃除をしていない書庫を片付けていた。 ヴァリアーの書庫は重要書類がたくさん納められているのだが、それ以外にも後で片付けようとファイルごと突っ込んである書類もあり、ザンザスの私物やそれ以外のものも結構入っている。 ザンザスが八年の凍結から冷めた後、大量に読み込んだ八年分の新聞の縮小データがまだ残っていて、流石にもうこれはいらないだろうと片付けようと思ったのだ。 重ねられた新聞の縮小版はCDデータを印刷したもので、年代はかなりばらばらだった。日付を確認しつつ、間に挟まれた書類やクリアファイル、本の切り抜きを眺めては捨ててゆく。ほとんどはもうすでに終わったものなので、捨てるばかりであるが念のため、全て目を通して処分することにした。そんなことはレヴィにまかせればいいじゃねぇかぁ、ザンザスが寵愛する副官はそんなことを言いそうだ。 間に時々挟まれている本部の書類のところどころに、ザンザスが見たことがないスクアーロの姿がある。ほとんどが名前だけの存在だが、時々添付された写真の中に、スクアーロの手や指や頭が、さりげなく写り込んでいる時があった。 子供の頼りない腕や隊服に着られているような体が、だんだんしなやかな大人の腕になり、馴染んでいない革手袋が第二の指のようになってゆき、汚れた手袋が次には綺麗になっていることもある。 そんなものをより分けている自分に苦笑しながら、ザンザスはどんどん書類を片付けてゆく。 そうして気がつけば、分厚い本のようなノートが一冊残っていた。これは仕事のデータというより、完全にフォトアルバムのようである。 一体なんでこんなものがここに紛れているのか、そもそもこのアルバムをザンザスは見たことがなかった。時々ザンザスの書庫にはスクアーロが自分の私物を突っ込んでいることがあって、本人は一時的にそこに置いておいて、ザンザスが気が付かないうちに片付けているようだ。もっともザンザスが気がついていない確率は今のところ半分くらいだったが。 アルバムの中を見るのに一瞬、ザンザスは躊躇してしまう。それは八年のゆりがこの断絶のせいなのだが、ザンザスはともかく、スクアーロがどうにもそれに触れられるのがあまり好きではないようなのだ。表面上はそれほど表情に出して嫌だ、とは言わないが、そんな話をした後は少しばかり、自己嫌悪がひどくなって、気分が沈み込んでしまうことが多い。しなやかな髪がしょんぼりとしおれてしまって、それを慰めるのにいささかの苦労を要するのだ。 スクアーロが思っているほど、ザンザスはその八年の間を気にしているわけではない。知らないことは知らないことで、どうしようもないことだと、比較的早くザンザスは諦めがついてしまっていた。どうにもならないことにこだわることの無意味さを知っているせいもあるだろうが、そもそも、知らないことは知れたことのほうが嬉しいし楽しいので、別段嫌なことでもないことだからだ。 知らないスクアーロのことを知るのは楽しいことだ。スクアーロはそれを申し訳ない、と思っているようだったが、そんなことはないのだと、それを知らしめるのにはいましばらく、時間がかかることは覚悟している。 スクアーロよりよほど早く、ザンザスはあの男とこの先も一緒に生きていくことをどこか厳粛な使命のように感じていて、その天の勅命にしたがうことはそれほど、自分にとって悪いことではないということもよくよく自覚しているのだったから。 アルバムはそれほど重厚な作りのものではない。螺旋の形をした金具に、穴の開いた台紙が綴じられていて、四隅を糊のついた三角コーナーで止めてある。簡単ではあるが、大切な写真を丁寧に貼りつけた後が垣間見えるものだった。 ザンザスがめくったのは最後のページのようだった。そこにはごく最近の、確か一ヶ月前、本部にパーティに行く前に、おろしたての新しいスーツを着たザンザスと、スクアーロが写っている。 こんな写真を撮られたっことがあったのか、ザンザスは覚えていないが、照れながらも嬉しそうに微笑むスクアーロに着せたスーツには見覚えがあった。馴染みのテーラーに珍しく出向いて行って、仕立ててやったものだった。写真ではわからないが、シャツの地紋が同じ色で、細かく入ったストライプをお互いの瞳の色に合わせて誂えたものだった。遠目ではスクアーロが薄いピンク、ザンザスが薄いグレーのシャツを着ているように見える。 スクアーロのカフスボタンは一昨年の誕生日にザンザスが贈ったアクアマリンのついたもの、ザンザスのほうはそれより前にスクアーロから贈られたダイヤとプラチナがさりげなく入っている黒瑪瑙のもの。最近はそうやって人知れず、揃いのものを誂えて、人前にスクアーロを連れ出すことも多くなった。 その前、その前、アルバムはスクアーロとザンザスの写真がメインで、スクアーロはあまりきちんとフレームに入っていない。幹部全員で撮影した写真も時々混じっている。ザンザスの背中を撮影した写真や、ヴァリアーのアジトの上の階から、戻ってくるザンザスを撮影したと見られるものもあった。 それよりさらに前はがくんと写真が減っている。 まだ顔に包帯が残るスクアーロが写っているのはずいぶん昔のものだ。隊服が古くて、それは争奪戦のあたりのものだと知れる。 この頃のスクアーロはまだまだ全然顔立ちが子供で、カメラを見ていることのほうが少ない。フレームアウトしているものもあり、手だけしか写っていないものまであった。 写真はやがてゆりかごの時代のものになる。八年前のスクアーロはどこかすさんだ疲れた顔をしていて、けれど案外屈託のない表情で、写真の中で笑ったりものを食べたりカードをしていたりした。何をしたのか、全身が汗でぐっしょりと濡れている姿のものもあった。 さらに前、二十歳くらいのスクアーロ、もっと前のスクアーロ、ゆりかごの直後――と言っても髪が肩甲骨のあたりまで伸びていたので、最低でも一年は後だろうと思うが、そのころのスクアーロはカメラにむかって顔を向けていない。だからどれも普通の写真であるのに、スクアーロだけが隠し撮りをしているかのような印象を与えるのだ。 そうしてめくった最初の一枚は、本当に子供のスクアーロだった。顔が丸くて髪があちこちに跳ねていて、こちらを向いて驚いた顔をしている。着ているのが制服か、シャツの襟が曲がっていて、ネクタイがよじれているのだが、それも今から思えばただ、可愛らしいと感じるばかり。 よく見れば場所は学校のようだ。奥には階段や生徒の姿が見える。 写真の下には小さいメモが貼りつけた跡があった。糊が劣化して、剥がれてしまったらしい。どこかにあるかと思いながらめくったページの回りを探れば、黄ばんだメモにあまり綺麗ではない文字が書かれている。『Buon Compleanno』。 一言だけかかれたメッセージと撮られた日付、シャッターを切った同級生の名前。それがザンザスをスクアーロが見つける数日前のものであることに、ザンザスは思わず笑ってしまったのだった。 [14回]PR