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あなたここにいてほしい

足元の音が変わる。

「う゛ぉおお!? ここ、道がいい山だなぁー!?」
「岩が少ないんじゃない。活火山帯じゃないのかも。この前の山より低いから植生がいいでしょ。こっちが南で、光が、」
「ああ、こっちクマザザが全部生えてるなぁ」
「さっきと違うでしょ」
「そういやさっきのとこ、カラマツとコナラばっかだったな? 葉の大きさが、全然違ぇrなぁ」
「落葉樹が多い山ところは以外と光が入らないからね。針葉樹のほうが入らないから、もっとずっと下草が少ないんだけど。ここは斜面になってるから、光が入るんだよ。っていうか、太陽出てきたね」
「下よりこっちのほうが暑いんじゃねぇかぁ」

汗が滲む。光が眩しい。
さっきまで、まったく風が吹いていなかった。この時期にしては珍しい。
地面の下が全部温かいのだ、と雲雀は言う。

温度差がないからね。ここのあたりの水は弱酸性で、だからあまり木が生えない。酸性土壌が好きな樹木は大きくなりにくい。普通はね。でもここは大きなのがあるよ。

雲雀が木の名前を言う。足を止めて葉を拾う。
大きさの違う葉を見せて、これはなに、これはなにだと名前を言う。
へぇーとうなづきながら、スクアーロはその名前を覚えようとする。若い時分よりはかなり、記憶力は悪くなったと思うが、これくらいなら覚えて帰れそうだ。
雲雀は滔々と話をする。この男は本当に頭がいい。勉強することに熱心で、努力を怠らない。そんなところがスクアーロの、主に似ていて好ましい。
十代目の守護者たちはどれも嫌いではないが、この男との空気感は格別だ。
一番遠くて乾いていて、楽しいというより空気に近い。

さっきまでサラサラ、小さい音しかしなかった山道が、急に大きな落ち葉でおおわれる。足音がガザガザ、葉が落ちた晴れた山に響いて驚くほどだ。
さっきまではうっすらと曇っていた空は、太陽が出てきて雲が晴れてきた。空気が乾いているからとても明るく、山登りには最高すぎる気候だが、山道には人の気配がまったくない。それはとても珍しい。
昨今、どこの山に行っても、登山者がいない山はいない。
登山はあまりお金のかからないレジャーで、欧州でも愛好者が多い。イタリアは北部国境をアルプスに接していて、国内の中央に山脈が通っているから、山のレジャーは盛んに行われている国でもある。レジャーとしての登山を、本国にいた時分にはほとんど興味がないままにきてしまったスクアーロだったが、数年前、ごく若いころからずっとしてきた仕事をやめて、この国に来てからは、割と頻繁に山に登るようになった。

並盛市内で有数の実力者である雲雀恭弥から声をかけられて、初めて山に登ったのは三年ほど前のことだ。
雲雀恭弥はすでに二十代の頃から市議選に出馬して当選して市議議員を勤め、そのまま乞われて市長になって三期ほど勤めたあと、すぱっと市長をやめてから、現在では市内の再開発団体の顧問をしている。
県議に出て欲しい、県知事になってほしい、そんな意見を軽く無視して、今は市内の教育と再開発に尽力している雲雀恭弥は、年を取っても相変わらず、獣のような風情がかわらない。
人と群れるのが嫌いで、人がいないところに行くのが好きで、強いものが好きで、空の下、鳥の声、そこで一人でいるのが好きだ。

そんな男が異国の暗部の王、血にまみれた手をしていることを隠しもしない悪魔の王とその側近に、声をかけるのは本当に珍しいこと。
アウトドアに興味があるように思えなかった暗部の王とその側近が、それにイエスと答えたのもそれはそれは珍しいこと。

けれど回数を重ねれば、王よりも側近のほうがそれにすっかりはまってしまって、気がつけば春から秋のシーズンの間、月に二回は連れ立って、あちらの山やこちらの山に、二人で行くようになったのもそれはそれは珍しいことだった。

山の紅葉も終わり、山登りのシーズンも終わる。
昨日の夜にいきなり電話がかかってきて、明日晴れたら山に行かないかい、そんな言葉で誘われて。
一緒に行かないか、そう行った主は楽しそうに笑って、少し考えたあと、残念だが、とやんわりと断られてしまう。
じゃあ俺一人で行ってくるなぁ、そんなスクアーロの髪を撫でて、気をつけろとつむじにキスをした赤瞳の男のことを、ふとスクアーロは考える。

「今日は天気がよくてよかったね。それにしても人がいないな、ここは」
「俺達しかいねぇんじゃねぇのかぁ。しっかし静かだなぁ」
「鳥がいないね、ここ」
「そういやそうだなぁ」
「まだかな」
「看板とかねぇのからなぁ」

池があるという表示があるが、何キロなのかの表示がない。そのせいかのか、それほど奥深い山ではないのに、人の気配がまったくない。中途の公園にはぼつぼつ、人の気配もあるけれど、その奥の山にはまったく人気がない。この山を登っているのはもしかして、二人しかいないのではないかと思われる。
今はどこにいっても人がいる。こんな贅沢は滅多に味わえるものではない。

「疲れたかい?」
「少しなぁ」
「まだ時間はあるからね。ぼちぼち行こうか」
「それにしても静かだなぁ」
「あの向こうが下っているみたいだね」

登山道は広くて整備されていて、下草は綺麗に刈りこんである。
石が少ないせいか、あまり足がひっかからず、ただ落ち葉がものすごい量でそこを覆っていて、あるくたびにガザガザ、大きな音がするばかりだ。

「クマ出るんだろぉなぁ」
「そりゃぁ出るよ。もちろん。今もどっかで僕らを見ているんじゃないのかい」
「そうかもなぁ」
「……水があるね」
「そうだなぁ、風が吹いてきたなぁ」

温度差があるところに風が吹く。今まで歩いてきた尾根には全然、風と水の気配がなかったが、尾根をひとつ超えた途端、ふっと冷えた風が吹いてきたのを、二人同時に感じて道の先を見る。

「もう少しだなぁ」
「◯◯から1600Mか…もう少しだろうね」
「だなぁ」

登山道整備のために、目印になる木の枝に巻かれた、蛍光ピンクのテープには、油性ペンで基準地からの距離が表示されている。
それを読み取りながら、先行きを予想して、また、空を見た。

「なんかゼータクしてるなぁ」
「僕達しかいないからね」
「すげぇなぁ」

少し風が吹いて、梢の葉をバラバラ、地面に落とす音がする。
音がない山中を歩きながら、スクアーロはぼんやりと、この世界をザンザスに見せてやりたいと、そんなことばかりを考えた。

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