ボスはまだ十六だから 「そーいえば、おまえ以外と睫毛長いなぁ!」…などと、言ったのは家光だったか。そんなどうでもいいことを、何故か突然ザンザスは思い出した。どうということのないいつもの日のいつもの昼下がりの、簡単な昼食が差し入れられ、それを書類を見ながら終わらせ、食後のカフェを飲み干し、十分だけ目を閉じ、開き、また書類の文面を眺めていたときのことだ。書類の文面はまったく全然要領を得ない。話にならない。早く結論を言え、と思いながらザンザスは書類をぱらぱらとめくるが、どうにもどこにも結論らしきものがない。後回しにするかと思って書類をトレイに投げる。次の書類を出す。こっちは早く終わりそうだ。結論が早い仕事が出来る人間は好きだ。どうもいいことをいつまでも弄繰り回しているのは性に合わない。気になれば替えればいい、それで駄目なら直せばいいのだ。直す前から出来ないという人間の気が知れない。おまえは失敗したことがあるのか、と言いたい。そういうことをいう輩が本当に失敗していることなどまずないのだ。失敗を知っている人間はそんな言い方をしない。どうにも意識が散漫に過ぎる。眠いのか、疲れているのか。時計を見れば、すでに三時を回っていて、日が翳り始めているのがわかった。夏の日も衰える。長い謳歌の時間は過ぎて、実りの季節がそろそろやってくる。そんなことを思う間もなく、長い廊下の先から、見知った気配がやってくる。足音はしないのに、小うるさい気配は隠しようがない。声も聞こえてくるような気がする。「う゛ぉおおおお゛い! お茶の時間だぜぇぇええ!」その声に条件反射で手に持っていたものを投げるのは、すでにザンザスの習慣のようなものだ。今日もそうだった。手にしていたのはサインをするために握っていた万年筆だった。キャップを閉じて書類の上を叩いていたのをそのままに、手首のスナップを利かせて投げた。スコン、と綺麗な乾いた音がして、それが小さい円い頭蓋骨に衝突する。床に落ちる前に拾われる。「ぅおっ! おおっとあぶねぇ、せっかくの茶がこぼれるだろぉおお!」がちゃん、とかすかに茶器がぶつかる音がするが、それだけで、スクアーロは手にした盆を落さずに、空いた手で万年筆を拾う。「せっかくのいいもんなのにもったいねぇぞぉ」そういいながらそれをデスクに戻す。ザンザスが何か言う前に、応接セットに茶器を置く。「少しは休めぇ。夕飯遅くなるかもしんねぇからなぁ、腹になんかいれろぉ」「あ゛ぁ? てめぇに指図される筋合いはねぇ」「そういうなぁ。ルッスがちょっと遅れるって電話してきたんだぁ。どうせ買い物でひっかかってるんだろぉ」そういいながらスクアーロがポットに注がれた紅茶をカップに注ぐ。ちゃんと時間を計っているのか、小さい砂時計が脇に見える。ちゃんと下まで落ちている。いつだったか、落ちきる前にとっとと茶を入れようとして、ルッスに怒られたことがあった。そんなことを思い出した。「甘いもん少し食ったほうがはかどるぞぉ」そういいながら、皿に盛ったビスコッティとスコーンを隣に並べる。食欲はなかったが、紅茶の香りが漂い始めると、仕事を続ける気にもなれず、ザンザスは目を閉じて眉間を揉み解した。痛みを感じるということは、目が疲れているということだ。はぁ、と溜息をついて、席を立つ。応接セットのソファに腰を落ち着ければ、向かいに座ったスクアーロが、口元を緩めて、だらしない顔で笑う。――なぁ知ってるか? スクアーロの睫毛もな、………だからそんなことを思い出したのも、偶然だ。家光はそんなことを言った。なんだったか、このカスザメの睫毛の先がどうとか…なんだったか?ザンザスはそれが思い出せず、なんだったか、と思いながら、紅茶を一口飲んだ。半分ほど飲んでから、ビスコッティに手を伸ばし、半分に割って茶に浸す。浸したものをほおばりながら、ふっと視線を上げる。スクアーロの向こうから光が差している。ゆるい午後の光の中で、銀の髪が逆光に照らされてキラキラ光る。影になっていても、黒い服に包まれた白い肌は目を見張るほどで、中からほんのり、光っているかのようにうっすら、浮かび上がって見える。長く伸びた前髪が額を隠す。色の薄い体毛とまぎれて、区別が定かではない。伏せた睫毛に焦点を合わせる。目元がやけに白く見えるのは、びっしりはえている睫毛のせいらしい。白い光が目元で乱反射する。光にまぎれて見えないのに、質量だけがあるそれが、目元から頬に、うっすらと影を落としているのが、なんだかやけに不思議だ。ふっと睫毛が動く。その光の中から、灰色とも、青とも、白とも言いがたい、不思議な光の瞳が生まれた。視線が動くのを見る。見える。虹彩が薄いので、視線の動きがよくわかるのだ。「……なんだぁ?」「ルッスぅううううううううう!」「どうしたのよっスクちゃん!つか離れなさい、動けないわ! ちょ、手を離しなさい痛い痛い痛いわぁああ!」「どうしようぉおおおおボスがボスがボスがぁああああああ」「どうしたのよっ!!」「ボスがいきなり真っ赤になってぶっ倒れたぁあああああ!」「なんですってぇえええええ!!!!」えぐえぐとほとんど泣きそうになっているスクアーロを引きずって(離れないのだ)、ルッスーリアが執務室に入ったころには、ソファの上でひっくりかえっていたザンザスが、気がついて起き上がっていたところだった。「どうしたんですか、ボス!」「ボス! おい、もう大丈夫なのか、おきても大丈夫か!?」冷静に様子を聞こうとするルッスーリアに対して、スクアーロは大慌てで手を離し、飛ぶようにザンザスに近づいてゆく。手を伸ばして熱を計ろうとするのを、ザンザスは体を引いて避けた。「…ボス…?」「カスは出て行け」「え、なんで」「いいから出ていけ!」ザンザスの剣幕に、スクアーロは何かを言おうとした。だが、ルッスがその手を掴んだのに我にかえる。「でも、」「出て行け。命令だ」「……Si」しおたれた犬の尻尾が見えるほどの勢いで、スクアーロが名残惜しそうに部屋を出る。ドアを閉める音がしてようやく、ルッスーリアは息を吐いた。「で、……どうしたのかしら、ボス」返事はない。ザンザスはソファに起き上がり、位置を変えて座りこんでいた。「どうしたのかしら? 具合が悪いの?」「………よくわからん」「……どういうことかしら?」小指の先をたてて、ルッスーリアはそう返事をする。見たところ、顔色が若干悪いが、起き上がった様子から、どこか体に異常があるようには見えない。話した口調も落ち着いている。見てわかる異常はない。ルッスーリアはそれほど心配することはないのかしら、と思いながら返事を待った。「これはなんかの病気か?」「……どうかしたのかしら」「カスザメの顔を見たら一気に熱が出た」「……は?」「心拍数は上がるし体温は上がって熱が出るし、たぶん血圧も上がったんじゃねえか。息は出来ねぇし目は回るし、頭はガンガンする。……なんだこれは」-----------------------------------ボスは年下の男の子~♪ ってことで、ひとつ。 [1回]PR