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マーマーレータをたっぷりと

収穫の時期は忙しい。
食べることに時間をかけることをイタリア人は厭わない。それに男女の区別なく、休日のブランチを作るのは男の役目のほうが多いくらいだ。
料理がうまい男がモテるのは古今東西変わらない。

さんざん嬲られ愛されて、骨の髄まで溶けるような休日の、朝の光の中で目が覚めるのに、スクアーロはまだ全然、慣れることが出来ない。
普段ならそうそうぐずぐず、起きるのにためらうことはない。決めた時間に目が覚めて、どんなに体が辛くとも、しゃきっと起きて身支度が出来た。いままでは、たぶん。
目を覚ましたら部屋が明るくて、重いカーテンが全部綺麗に引かれていた。二重のジャガード織りの布はきちんと纏められていて、窓ガラスは綺麗に磨かれ、冬の光を受けて眩しいくらいにピカピカだ。
ガバっと起きたベッドの上はひとりきりで、足元に寝ていた猫が、億劫そうに目を開けてまた閉じる。
「え…っ?」
思わず出した声が別人だった。そんなことになるのも初めてではないけれど、出した自分の声に自分で赤くなって思わず、喉に手を当ててうつむけば、ふわふわの羽毛布団の下、素っ裸だと思っていた体にはきちんと、ダブルガーゼのパジャマを着ているのに再び驚く。しかもそのパジャマは、着た覚えもなければ、見た覚えもないものなの驚愕はさらに倍。
髪がくしゃくしゃなのは今に始まったことではないから、大慌てで手櫛で整え、シーツを直して起き上がる。天気がよさそうだからシーツを洗って、といつものようにシーツを引っ剥がして部屋を出れば、廊下にふわり、甘い香りが漂う。
甘いのはわかるが馴染みのない香りに、なんだろう、と思いながら階段を降りる。足元がだいぶふらふらするから、シーツをかかえたままだと危ないかもしれない。引越ししてきてからすぐに、手すりを新しいものにつけかえたことを思い出して、頬にさっと朱が登った。
「遅くなった、悪ィ」
シーツを洗濯機に入れようと思ったらすでに動いていたから傍にカゴに放りこむ。ランドリーの中のリネン類が全部取り替えられている。週末には全部まとめて洗って干して交換するから、今洗っているものの中に入っているのだろう。
キッチンに入ればいっそう、濃厚な甘い香りが漂ってきて、朝からなんだか、体が緩む。
「おはよう…、ザンザス」
「おはよう」
エプロンをきちんと身に着けて、コンロの前で鍋に向かっている背中に近づく。広くてたくましい背中に手を回して軽くハグ。抱きしめた腕の中で、右手の筋肉が動くのを確かめる。
「何してんだぁ?」
後ろから覗き込めば、白い鍋の中には飴色の何か。ゆるい飴のようなその中に、シリコンヘラがせわしなく動いて、中身を混ぜている。
「confettura」
「confettura? なんのだぁ?」
「おまえがこのまえもらってきたやつ」
「柿かぁ」
「cachi」
「同じだろぉー? つーか、元は日本語だよなぁ、cachiって」
「そうらしい」
「すげぇいいにおいだなぁ」
「元がすげぇ甘ぇ。砂糖が入れられん」
「すげぇ!」
煮汁はすぐにとろんとしてくるから、あまり固くなるまでに火を止めなくてはいけない。
confettura-ジャムは砂糖と果物のペクチンで固まる。柿はペクチンが多く、そのまま煮るだけで羊羹に出来るほどだから、少しでも加熱時間が長くなると、しっかり固まってしまうのだ。
「危ねぇから離せ」
振り向きもしない男にちょっとだけ、背伸びして耳たぶを後ろから齧ることで憂さを晴らした。
少しくらいは動揺しろよ、そう思わないでもないけれど、回した腕を離して体を離す。キッチンから出てリビングの椅子を引き、そこに腰を落ち着けると、男の動きを眺める仕事に精を出すことにした。
ザンザスの腕が傍らに伏せてあった瓶を取る。ヘラはレードルに持ち替えられ、火を止めるとすぐに、中身が次々、ガラスの中に移された。
甘い香りと明るいキャラメルブラウンと濃いオレンジで交じり合っている。庭で紅葉している木の葉のような色だ。
小さいガラスの保存瓶に2つ分、それと小皿に大さじ2杯分ほど余ったぶんを全部とりわけ、使った鍋を温かいうちに洗う。シリコンヘラで根こそぎ綺麗に拭った鍋はそれほど汚れてもいないから、ぬるま湯でさっと洗い流せば終わる。
続けてその鍋に浅く水を張り、さっき詰めたばかりの瓶を並べて火にかける。空気を抜くつもりなのだ。
「蓋しめてひっくりかえすくらいでいいんじゃねぇかぁー?」
「そうか?」
「ここいらは寒いしよぉー、乾燥してるから腐らねぇんじゃねぇかぁー?」
「外に置くのか」
「廊下に保存食入れてるとこあるだろー? そこに入れておけば平気じゃねぇかぁ?」
「すぐに食べねぇだろ」
「それもそうかぁー」
今年は何を作ったんだっけか、スクアーロはそんなことをつらつら思い出す。夏の終わりにトマトソースを山ほど作って、それでいっぱいになっている貯蔵庫に、ジャムが入る場所はあるだろうか?
今年は何のジャムを作ろう。リンゴ、キウィ、柚子、温州、伊予柑。夏に作った玉葱も美味しかったから、芽が出てしまうまでにもう一回くらい作りたい。リンゴは種類で味が違うという。確かに色も味も違うから、ジャムにしたらきっと味も変わるだろう。
鍋を湯にかけたら今度は、冷蔵庫からパンを取り出す。ようやくザンザスが振り向いた。
「…なんだその髪は」
「まだ梳かしてねぇからよぉ」
「…腹減ったのか?」
「んー? どうだろ……、つーか、起こせよぉ」
毛先をつまんで日にすかすスクアーロの、横顔を見ながらザンザスは答えを口の中で転がす。
もう昼近いダイニングの、テーブルに肘をついているスクアーロの髪が逆光でキラキラ、光っているのがやけに眩しい。銀の髪が光の中で白っぽく輝き、今朝はサラサラ、流れるようなしなやかさを失って、どこかふわふわ、やわらかくウェーブを描いて肩を、背中を覆っているのはまるで、童話の妖精か天使のようで、視線を縫い止めて動かすことを許さない。
そんな姿で隣で寝ていた情人を、叩き起こす気にはどうしてもなれなかったと、答える言葉を探しているうちに、それは天使から人間になった。
「朝メシはー?」
「昨夜の残りを摘んだだけだ。これ、食べたいだろ?」
「食べる!」
「二枚でいいか?」
「うん」
立ち上がろうとするのを手のひらで制し、ザンザスの腕が持ち上がって、ケースからパンを取り出す。昨日買ってきたパンの残りにナイフを入れ、四枚に切る。
冷蔵庫から牛乳を出し、そこにさっき作ったばかりのジャムを入れ、卵を一つ割り入れる。かるく混ぜてからバットに並べたパンにかけた。
「うぉお…」
「塗るのは後でな」
返事はない。スクアーロの視線が痛いほど、ザンザスの両手に注がれているのを感じて、少しばかりザンザスは唇をゆるめた。
パンを熱してバターを落とし、宙で溶かしてコンロに戻す。そこにバットから引き上げたパンを置いて、弱火で蓋をして三分。丁寧にかえしてから、今度はタイマーをかけて二分。
返した時から漂う甘い香りに、スクアーロの目元が蕩けたようになるのは、見なくてもわかる気がした。


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