回転する白い花 時速100キロを越えると視界はどんどん狭くなり、色や形を認識できなくなる。前傾姿勢で斜面を降りる角度によっては何も見えないところを、踏み切って「飛ぶ」こともある。右に大きく下りながらカーブしたと思ったら左に上りながらゆるやかに斜めにあがり、その先を急角度で前とは逆の弧を描いて下るダウンヒルを、100キロの速度を「体感」しながら氷を砕いて、降りてくる。ザンザスはその速度を知っている。元からスピードを出すのは嫌いではないし、バイクで100は軽く出せる。炎をチャージした銃での飛行は、連射と風向き、動きの関係で、最大80近くまでは出る。うまく体を動かさないと、自分の速度で首をやられかねない速度でもあることを、ザンザスはよく知っている。「回転ってなんかこえーよなぁ」そんなことを、真剣に画面を眺めているザンザスの隣で、やけにぼうっとした声で問いかけてくるのに、ザンザスはようやく、そちらに意識を向けることが出来た。「起きたのか」「なんか目が覚めたんだぁ。……いいタイム、出たのかぁ?」「二人前の選手がタイ記録出した」「どこの?」「アメリカ」「イタリアのは…、…確か、ええと」「まだだ」「そうかぁ」そう言いながら、画面を眺める白い横顔。肌も白いが髪も白い、それが光を反射して青く見える。画面の中では司会と解説者の言葉の合間に、深い日陰の谷間を過ぎるエッジの音が聞こえてくる。斜めにそれるフラッグの赤、地面にきざ回れたコースの青。こんなところをコースアウトしないで飛ぶように滑る、その難度をふと、思う。「俺ぁアルペンよりボードがいいぜぇ」「そうか?」「うわっ、またコースアウトかよ…」画面の中では青いラインにおさまりきれず、大きく膨らんだ板を制御できない選手が、フラッグをひとつ飛ばしてそのまま、するんとコースをそれてしまう。自分でそれるならまだいい方。急斜面を滑り降りるその競技の、コースを行くのは一度だけ。エッジの立て方を見誤れば、コースどころか自分の板も、速度の魔物につかまって、緩衝材にぶつかるまで、止めることも出来なくなる。「ずいぶん多いなぁ」「コンディションは悪くねぇはずだが」「天気いいもんなぁ」抜けるような青空、だからこそ影は青く沈んで、画面の光をその頬に受けるスクアーロの、睫毛の先までうっすら青い。「怖いのか?」「あー、? そうだなぁ、怖ぇえなぁ」「意外だな」「なんだよ、俺にだって怖いもんくらいあるぜぇ」「ないかと思ってた」「俺をなんだと思ってるんだよぉ」そういいながら前髪を横に流すために指で漉く。額が一瞬、あらわになる。「あーゆーのはさぁ、両手塞がっててヤだよなぁ。スキーはストック持ってるからよぉ、なんかあったらそれ離さなくちゃなんねーだろ。それがなんか、ヤなんだよなぁ。ボードだったら両手、空いてるしよぉ」なんだそっちの意味だったのか、ということに気がついて、ザンザスは拍子抜けする。そういう意味の「怖い」だったのか。「そういう意味か」「なんだよぉ、他になんかこえぇーとこなんかあるかよぉ」「俺はボードのほうが嫌だがな。進行方向に背中向けてるってのが気にいらねぇ」「へぇ…、そんなもんかぁ?」スイスの選手が出てくる。世界ランキングで3位、今年度のワールドカップでは1位だと司会が告げる。「アルプスとロッキーの雪って違うんだろうなぁ」「行くか?」そんな言葉をつい、口に出す。肩にこつんと頭が当たる。腕をさらりと髪が流れる。まるで当たり前のように耳の後ろから指を差し入れて、そのまますっと、下に動かす。指の間を、少しかさついた髪が、ゆっくり落ちて、通り過ぎる。「あー、いいかもなあ…、………今年は雪、多いらしいぜぇ」「いつがいい?」「予定聞かなくていいのかぁ?」「誰の」「あいつら連れてくんじゃねぇの?」「なんでそんなことするんだ」「前は一緒に行ったじゃねぇか」「勝手についてきたんだ」「じゃあ二人だけかぁ?」「そうだ」「俺はボードだし、あんたノーマル板だろぉ。つまんないんじゃねぇのかぁ」「お手手つないで仲良く滑る気か?」「んなわけねぇだろぉ」「じゃあいいじゃねぇか」画面の中では最後の一本を、アメリカの選手が降りてゆくところだった。明らかにラインの決め方が違っていて、板のコントロールもたいしたものだった。バンクで流れず、アウトから入ってインに抜けるライン取りが丁寧。ジャンプを一回、二回、日陰のインから抜けて、直線で速度を出す。ゴールを抜ける。ブレーキはギリギリで効いた。すぐにタイムが出る。早い。0.03秒で一位の記録を抜いたようだ。思わず大声をあげようとした隣の男の唇を、掌で押さえて塞いで、ザンザスは、はたしてこの男がさっき話していたことを、今も覚えている可能性について少し考えた。掌の下でもごもご言っている唇の動きから推測するに、可能性はあまり高くはなさそうだった。-----------------------------------後半部分が綺麗に消えていて地味にショック閉会式には間に合った! [4回]PR