山は山、川は川 「いやーすげぇとこだったぜぇ!」帰ってきた足取りが重いのが気になった。車の音はいつも通り、けれど玄関のポーチを抜けて吹き抜けのリビングで荷物を降ろす音には、隠しきれない疲労がある。五感は若いうちよりはかなり鈍くなってはいるが、聞きなれた声も足音も、機微を感じ取れないほどではない。くるくる変わるもそうだけれど、基本的にスクアーロはザンザスに嘘をつけないのだ。「そうか」「これ土産だぁ。後で冷やして食べようぜぇ」荷物の一番上から袋を出してテーブルの上に置く。それから洗わなければならないものを取り出し、洗濯するものを出して、バックを空にしながら、使った道具をより分ける。大量のパンフレットも別にして、上着を脱ぐ姿にキッチンに立つ。水を渡す。「風呂沸いてる」「ありがとうなぁ。もう入ったかぁ?」「入った。おまえも入れ」「ん」「メシは」「なんかあれば。なけりゃいいぜぇ」「豆腐に肉味噌、夏野菜のサラダが残ってる。食え」「おっ、すげぇ」「酒出すか?」「梅酒がいいぜぇ」「よし、行って来い」浴室に向かう背中が少しくたびれていて、さすがに疲れているのだと知れる。足音に覇気がない。キッチンから先はさすがに土足ではなく、そこで靴を脱いでぺたぺた、足音が浴室に消える。外見はバリバリの洋館でも、水周りは日本の様式になっている。浴室とトイレは別になっているのは確かに便利だ。浅い風呂桶に湯を張ってあるので、すぐに入れるようになっている。入るごとに湯を払う方式ではないが、帰宅の電話を貰ってから、時間に合わせて湯を少し足した。気持ちよさそうな声が漏れ聞こえる。体を洗って戻るまで、少し時間があるだろう。ザンザスは冷蔵庫を開けて、夕飯の残りを出した。「思ったより厳しい道だったんだぜぇ…暑かったし」「そんなにか」「登山口が町の中でよ。登ればそうでもねぇんだが、今日暑かったんだろ?」「そうだな、35度とか言ってた」「だからかぁ。山の上だってのに、すんげぇ暑かったんだぜぇ」「そっちも町の最高気温は33度だって出てたぜ」「そりゃすげぇ…道理で汗が冷えても寒気がしなかったはずだぜぇ」湯上りのスクアーロの顔は少し血行がよくなっている。梅酒に氷を入れたものをちびちび、舐めるように飲みながら豆腐を口に運ぶ。食欲はあるようだ。「ちゃんと揉んだか?」「ん? そりゃあなぁ。時間がなくってウォームアップが適当でよぉ、参ったぜ」「寝る前に揉んでやろうか」「そうかあ!? ありがとうなぁ!」朝早く準備をして出て行ったスクアーロは、今日は雲雀と笹川了平と一緒に、何かのツアーに申し込みをしたらしい。車で行って落ち合って、電車で移動してバスに乗って、経路はきちんと説明されたけれど、ザンザスは興味がないので適当に聞き流している。楽しそうに今日の話をする顔色は悪くない。今年の夏に入る少し前、風邪をこじらせて寝込んで体力を落とし、真夏の間は高原で避暑をすることになったのだ。湿度は低くないが高原の空気は体を癒し、毎日歩いて走って体力を戻し、久しぶりに山に登ってきたせいか、スクアーロはとても楽しそうにキラキラ、表情がくるくる変わる。「肩は」「平気だぜぇ。今日は軽いのにしたしよぉ」食事をするスクアーロの、左手の指は三本しかない。これは日常に使うための義手だ。シンプルな仕組みだが、おおよそのことは普通に出来る。無骨でそっけない外見だが、ものを掴むのに三本の指があれば十分なのだ。見目は悪いが、外装用に五本指が揃っているものよりも、体にかかる負担が少ない。右と左の体の筋肉のつきかたの違うスクアーロの、落ちた体力を気遣う男の言葉には、長年の生活の妙が漂った。「もう大分平気だぜぇ」「おまえの平気は信用できねぇ」「んなこと言うなよぉ」スクアーロのいう大丈夫は信用できないということは、ザンザスが彼について最初に覚えたことだった。スクアーロは基礎体力が馬鹿のようにある男だが、自分の体の不都合よりも、ザンザスのそれを優先する姿勢をかえるようなことはない。それは16と14で出会った当初から30年以上も続いていて、それについては自分が気を配らなければならないと、ザンザスはかなり前にしみじみと実感し、それは今も続いている。ヴァリアーを引退して、日本に二人でやってきてから、もう五年がたつ。スクアーロは今年五十になった。祝いに東京のホテルで一泊、レストランで食事をして、新しい指輪と義手を送った。今使っているのがそうだった。その義手に器用に梅酒のグラスを挟んで、うまそうに酒を飲む姿をしみじみと眺める。頭の中のシャッターを押して、それを頭の中のアルバムに収める。「なんだぁ?」「いや、……」「なぁ、もうちょっと涼しくなったら一緒に行こうぜぇ」「そうだな。考えておく」「まぁあんたは好きじゃな…え?」「景色のいい場所を探しておけ」いままでほとんど同行の返事をSiと答えたことのない男が、初めて諾の答えを返すのに、スクアーロが驚いて目を見張る。どんな心境の変化があったんだ、と思っているらしいことがザンザスでなくてもすぐに分かった。「マジかよ。足が痛くなっても車は回せねぇぜぇ」「俺が一緒に行くのに問題があるのか?」「ねぇよ!…ねぇけど、」「ならいいじゃねぇか」そういて笑うザンザスの顔に、スクアーロが何も返せなくなることは知っている。知っているからそれを使う。それを使っていうことを聞かせる。二人でいられる残りの時間はそれほど長くないことを、いまさらながらに感じただけだ、とは、けして本人には言わないけれど。「寝るか」「あ、…ぁあ……」ぽかんとした顔のスクアーロは、いつ見ても、何度見ても本当におもしろい。出来れば死ぬまで、見ていたい。-----------------------------------別の話を書いていたのに終わらない……。いい加減拍手の話も変えたいです。拍手ありがとうございます!! [14回]PR