悪魔の指先 「あら」女の眼差しは鋭い。大抵のものを見つけてしまう。隠していないものでも簡単に見つけてしまうそれが、隠そうとしているものを見つけてしまうのは本当に素早い。だからこの世で女が知らないものはないのだ。男がそれを知らないというだけで。「綺麗ね」女の感覚は男の中にもいくばくかは存在する。それを育てる機会があるかどうかだけの違い。勿論、女の中に男は常にいる。ただそれは育てる必要はないものだが。彼女はその間にいるモノ。自分がどちらでも「ある」ことを知っている。彼女はどちらでも「ある」。男でもあり、女でもあり、生者でもあり、死者でもある。生きているものを愛しながら、死んでいるものを愛でている。いや、生きているから死んでいるものを愛しているのだろうが。「へ?」「そこはもっと上品に返事なさいよ」「はぁ。…はい」「どうしたの? それ」極彩色のモヒカンの色はシャンパンゴールドと蛍光ピンクの入ったグリーン。最近定番の緑にピンクとゴールドをあわせるのがルッスーリアのお気に入りだ。今日はその彼女のお気に入りのピンクの入ったチェックのシャツを着ている男が彼女の目の前のソファに座っていた。遅いティータイムにお茶を入れてきたところにやってきたのは、昨日一週間ぶりにヴァリアーのアジトに戻ってきた銀髪の男。思ったより仕事に時間を取られて、戻ってきたときはフラフラ、意識が半分ないようだった。そんなになってまで戻ってこなくても、あと一泊してくればよかったのに。そう出迎えながら言ったルッスーリアに、「どうせ寝るならここで寝てぇなぁ」と答えられて少し、嬉しくなったけれど。はたして眠れたかどうか、あやしいわね、と彼女は思う。「何がだぁ」「それよ、それ」スクアーロは彼女が指さした先に視線をやって、しばらくそれが意味するところを考えていた。と、いうより、何が指摘されるようなことなのか、本気でわからないようだった。「何が、だぁ?」「気が付かないの? 爪、よ」スクアーロの右手の爪が、全部、綺麗に整えられていた。昨日、戻ってきたスクアーロは珍しく、左右色の違う手袋をしていた。左手の手袋を汚して駄目にしてしまったらしい。『義手のほうだけ出してるわけにもいかねぇだろぉ』『それでそんなことになってるの?』『スペアが終わっちまってよぉ…色違いのしかねぇし、ないよりマシかと思ってしてたんだぁ。あー、やっぱ我慢出来ねぇなぁ』そう言って手袋を脱いだ右手は相当荒れていてあちこちに傷があった。さらには爪先があちこち割れて欠けていて、あまつさえ爪の間には、何かがこびりついてドス黒くなってさえいたのだ。『ちょっ、スクちゃん、どうしたのそれ』『ちょっとついでにドンパチやっちまってよぉ。綺麗にしてるヒマなかったんでそのままで来ちまったんだが、こうして改めて見るとやっぱ、きったねぇなぁー』『ちゃんと手を洗って消毒するのよ?』『わかってらぁ-!』そういってヒラヒラと、血なのか泥なのかわからないもので汚れた手を振りかざしながら、階段をけだるそうに登ってゆくスクアーロの背中を眺めていたことは憶えている。スクアーロがあんな塩梅なら、今日の仕事はありそうね。そんなことを考えながらルッスーリアは、回廊の先を伺い見る。『クーちゃん、お仕事よん』『アオ―――ンッ!』『…明日スクちゃんに貴方使わなくても済むといいわね』そんなことを思い出しながら、ルッスーリアは、今見たそのスクアーロの指先は、五本全てが綺麗にくるんとまるい半月になり、全てが同じ長さに整えられているのを見た。断面もまろやかに削られていて、曲線が非常に丁寧で美しい。普段はあまり輝きのない表面にも、オイルでも塗ったのか、ツヤツヤと光を反射して輝いていて、そこだけがつくりものめいていて君が悪いほどだ。「これスクちゃんが自分で切ったんじゃなさそうね」「…え…?」「何その顔」「あれ…? なんでこんなんなって……ん……だ……ぁあああ■■■あああっ!??」スクアーロは自分で言いながらその「原因」に思いついたらしい。一瞬耳が聞こえなくなるほどの大声で怒鳴ったスクアーロを咎めようと視線を上げたルッスーリアの前で、たちまちのうちにスクアーロの、白い肌が煮えたシュリンプのように赤くなる。耳は薔薇色のオーロラソースのよう、頬は熟れたトマトのように真っ赤になって、あ、あ、言葉を忘れてぱくぱくと、唇は無駄に開いて閉じるをするばかり。「あ、あ、……あんのっ、……クソボスッ……!」最後のほうは消え入りそうな小さい声で、けれど目一杯の怒りを込めて、けれどそれ以上の羞恥が喉を塞いでいるから、かすれてしまいそうな音で。そうやって真っ赤になった頬を潤んだ瞳で彼の人を呼ぶスクアーロが昨夜、クタクタに疲れてヴァリアーのアジトの最上階に向かったあとで、何をされたのかはだいたい、ルッスーリアには想像が出来てしまった。「…綺麗にしてもらってよかったじゃない。どうせアンタがすかーっと寝こけ起きてこないから、ヒマにあかせてボスが磨いてくれたんでしょ」「アイツの肌に傷がつくのが嫌だって言ったからだろぉ……」「あなたが? …いつ?」ルッスーリアの質問に失言に気がついたスクアーロが音をたてて席を立つ。そのまま凄い勢いで部屋を出ていってしまうのを、ルッスーリアは鷹揚に見送った。「ゆうべはさんざんお楽しみだったみたいねぇ…。スクちゃんをぐっすり眠らせてあげるなんて、よほど寂しかったのかしら」スクアーロの右手の指の爪はあまり綺麗ではない。義手の左手ではなかなかうまく爪を整えることが出来ず、いつも曲線はガタガタ、ヤスリを適当にあてて引いた爪は形が悪くて、角が鋭角で乾いていた。一週間の出張の間には、ヤスリを当てる間もなかったろう。それが傷つけたボスの体はどこだろう。見事な筋肉で研ぎ出されたセクシーな背中か、たくましい肩か、それとも抵抗でもして頬をひっかきでもしたのかしら。どんなやりとりがあったのかしら。スクアーロが謝って、ボスが右手を取って、じっくりとあの赤い瞳で検分して。お洒落なボスのことだから、きっと眉を顰めて怒ったでしょうね。「寝ている間に爪を磨いて綺麗にしてあげるなんて、ボスはホントにスクちゃんの体が好きだわねぇー」まぁでもそれは仕方ないことかしら。だってスクアーロの体は、どこもかしこも全部、ボスのものですもね。ボスはものに執着するような方ではないけれど、自分のものは大事にする人ですもの。 [13回]PR