残念な神が支配する・4 AM10:30 俺ナルシストだったんだろうか。 なんだか今朝からいろいろショックだ。 こんなことがあっても結局腹が減る。 人間どんなことがあっても腹が減るもんだ。 俺はそれをよく知ってる。 だからなんというか、いくらショックなことがあっても腹が減ってなくても、食べ物を口に入れることには抵抗がない。というよりは機械的に御飯を食べることを、一時期習慣のようにしていたことがあるから、味がしない食事をすることは別に辛くはない。 だから今朝もそんな感じだった。 辛いことではないが衝撃的なことがあった。 長年惚れて好きで愛している男といい気持ちで抱き合ってセックスして寝て起きて目が覚めたら俺はその男になっていたのだ。 もちろんその男が自分になっていた、というおまけまでついていた。 簡単に言うとどういう仕組みなのかさっぱりわからないが、俺とザンザスの中身がまるっと入れ替わっちまったというわけだ。 目が覚めたら自分が目の前に寝ていたことにザンザスは最初、全然気が付かなかったらしいが、確かにそれは俺も同じだった。長年鏡の中で見ている自分の顔だったが、それは結局二次元なのだ。立体で見ているわけではない。 それを三次元で見るというのは確かに見え方が違うだろう。 ただ自分の場合はこの外見が非常に珍しいということもあって、割とすぐに自分がいることを認識できはしたのだ。ただその次に、「じゃあ自分は誰だ?」ということにすぐに思い至らなかったのだけれども。 確かに自分の姿かたちというのは相当珍しいものなのだろうな、と改めて思う。自分で自分の姿を見るのって本当に変な気持ちだ。 だけど本当はいつもの自分じゃないんだろうな、そんなことも少し考える。今は中身がボスの俺の体は、ボスの仕事をしている。 ボスは食事を終わらせてから、いつものように最上階の執務室にある大きな机に向かっている。 さっきから書類を読んではサインをし、書類を読んではパソコを立ちあげてサイトを見たり、資料を読んで何か考えたりしている。 俺はといえば、ボスの体でいつものように剣を振り回すわけにもいかず、いつものように走ろうと思ったところで、その無意味さに気がついて途方に暮れてしまった。体鍛えてどうする、これはボスの体だ。 俺が勝手に弄っていいものでもないし、怪我をさせたり少しでも損なってしまうことなどあってはならない。 そもそも俺がボスの真似をすることもできるわけがない。そうなると部屋を出ることができなくなってしまう。こういうことがあるとすぐにちょっかいをかけてくるベルも、流石に俺の体じゃないからか、何もしようとはしてこない。 そうなるとすることが何もなくて、俺は結局、仕事をしているボスをぼーっと眺めていることになる。いつ元に戻るかわからないから、とりあえず一緒にいようかと思って、俺はザンザスの部屋のソファに座り込んでいる。。 ボスは俺の体でも仕事が出来るから、と言ってどうしても終わらせないといけない書類だけ先に片付けている。俺はそれをぼーっと眺めるばかりで、何もすることがない。ときどきカフェを入れるくらいで、他に何もすることがないのだ。 で、暇だから…と、結局、仕事をしているボスを見ている。 ボスというか、自分が動いているのを眺めているのだ。 そしてなんというか、俺は不覚にも自分の顔に見蕩れてしまった。なんということだ、俺はナルシストだったのか? 自分が動いている姿を見て、かっこいいなぁとぼおっと見とれるとか、ありえないだろ、普通。 自分の顔に見とれるなんてどうかしてる。俺は自分がナルシストだと思ったことはないけれど、中身がボスだと思ったら、自分の顔でもなんだか、違うものを見ているような気分になる。ボスの横顔を眺めていると、ついぼおっと眺めてしまうことがよくあるけれど、まさか自分の顔でもそう思うなんて知らなかった。知りたくもなかったけれど。「どうした」「ひぇっ!」いきなりボスが声をかけてきた。というか自分の声だったのだけれど、自分で自分の声を聞いたことなどなかったから、おもわず変な声が出てしまう。「…何一人で百面相してやがる」「…んなことしてねぇ!」「自覚がねぇのか。……」続きを言おうとして、ボスは黙りこんで目をそらす。俺の顔が見たくないのかと思うけれど、そうだ、自分の顔形がだらしなくソファに座り込んでいる姿なんて見たいものではないだろう。「あ、…俺、ここにいるの邪魔だったら部屋に戻る…から」そう言うと、ボスは視線だけこちらに向けて、またはぁっとため息をつく。うわ、それだけのことなのに、なんだかすごく、ドキッとしてしまう。おかしい、あれは自分の顔じゃないか。「……自分の面見てて面白いか?」「……ああ、うん…。おもしろい、ぜぇ……」「そうか。俺は楽しくねぇ」「…そうなのかぁ…?」「おまえの面だったら見てても楽しいが、自分の面なんか見てても楽しくねぇ」「……そうだよなぁ…」ザンザスが俺の顔が好きだということは知っている。前からよく、そういうことだけはよく、言葉にしているのだ。確かに俺はここらへんでは珍しい髪の色をしているし、肌だって生白くて日に焼けないから、よく病人みたいだと言われることがある。俺を育ててくれた人間もよくそう言ってたし、だから珍しいのだろうと思っている。子供の頃は髪の色が薄くても、大人になると濃くなることはよくあるし、このあたりでは黒髪でオリーブ色の肌のほうが圧倒的に多い。ザンザスは俺の髪だけは気に入っているらしいし、顔も…まぁ、人並みくらいにはマトモだと思ってるから、それが目の前で動きまわるのは見ていて面白いのだろうと思っていた。だからよく髪をいじられたり、体を撫でられたりするのだろうと思っていた。けれどたしかに、自分の――正確にはボスの体だが――外から自分の体を見ることが出来るようになると、確かに見ていて楽しい、というボスの言い分は正しいのだろうな、ということが、わかった。確かに静かに黙って座っていれば、そこそこ見応えのある顔形だということがわかったからだ。鏡で見ているときは生白くて生気のない顔だと思っていたけれど、普通に動いている姿はそれなりに見ていて楽しい、というか美しい。白銀の髪が白い肌にかかる影が青白く、その下で長い睫毛が瞬く。ほとんど色のない虹彩が薄い色の睫毛の下で左右に動く。薄い唇が結ばれて、ときどきふっと開いた。その間にちらちら見える歯並びのよい白い歯。細くはないが薄い体が着崩したシャツの間から見える。普段と同じような格好をしているザンザスは、俺は滅多にしないネクタイを締め、それを少し緩めて襟元を開いている。俺は普段はほとんど隊服を襟まで締めて着ているが、流石にそれは出来ないようで、ボスは前のボタンを全部開けている。そんな格好の自分を見るのもなんだか久しぶりというか、新鮮で、それも相まってなんだか、視線が離せない。「何見てやがる」「あ――? なんだか不思議だなぁと思ってよぉ」「何がだ」「自分の顔だってのに、……なんか、すげぇ、綺麗だなぁって思っちまって……」ふ、っと唇だけでボスが笑う。心臓が跳ねる音が聞こえて、ざわっと背中が震えた。「おめぇナルシストだったのか?」「違ぇよ。……いや、そうなのかぁ? ボスさんだと思って見てるから、そう見えるのかぁ?」「なんだそれは」「自分が動いてる姿なんて、普通見ることなんか出来ねぇだろ…。だからかなぁ、なんか初めて見るみてぇでよぉ……」そんな俺を見るボスの視線がどんどん険しくなってくる。ああ、怒らせてる、機嫌悪くさせているのだと気がついた。「……おい」「…自分の部屋にいるなら問題ねぇだろ? 俺、そっちにいるからさ、用があったら呼んでくれぇ」腰を浮かせて背を向ける。俺の顔のボスが怒ってるのにも、やっぱかっこいいなぁ、などと思う自分の発想が信じられない。おかしいんじゃねぇのか、俺。考え始めたらきりがないので、背中を向けて部屋を出る。何か言いたそうな気配を感じているけれど、この状況をどうにかできるわけもなくて、溜め息をついた。いつも歩いてるはずの廊下を歩くのにも、足も腰も腕の動きも違っていて、体が揺れるのにもなんだか、不思議な気分がするのに、やはりまだ、慣れることはできそうになかった。 [3回]PR