赤と青の誘惑と困惑 「足りてるか」「あ、……大丈夫、です」「そうか。いるなら言え」時々ぼそっと呟かれて、それに答えるのをせかされないのは、ザンザスは基本的にクロームに興味がないからかもしれない。自分に向かってくる人の感情が、彼女には時々苦痛になることがあって、いつも自分を見られているのが精神的に負担になる。ボンゴレの本部での彼女は『霧の守護者』で、どこにいてもそれなりの注目を受ける。若い女であることも関係しているのかもしれない。本部の人間は若い女を若い女として扱う。そんなことをされるのに、今でも彼女は慣れることが出来ない。ここではそんなことはない。誰も彼女をそう扱わない。女として扱うこともされないが、守護者として尊ばれもしない。外部の人間として、みな一様に、同じように扱われる。悪くない。「いつも、おいしいご飯を出してもらって、……うれしい、です」「そうか」男はそう答えるだけで、黙って食事をする。完璧な御曹司教育を受けた男は、かちりとも音をたてずにソーセージを切り分ける。咀嚼音を立てずに噛み砕く。だからとても、食卓は静かで穏やかだ。彼女は自分の『本当の』ボスのことを考える。冷たい水の牢獄に長い間、押し込められたままでいる体のことを、六道骸はけして話はしない。幻覚としてしか表れない骸は、その話を誰にもすることはないが、時々、クロームはそのイメージを受け取ることが出来ることはある。感覚がないので、クロームはそれを痛みや苦しみとして理解することはできない。そこはあるのは虚無だ。ただそれだけが茫洋と広がるばかりで、悲しくも恐ろしくもない。骸とは一度も一緒に食事をしたことがない。というよりも、クロームは骸が食事をしている姿を見たことがないのだ。当然といえば当然だが、幻覚で現れる骸は、何かを食べている犬やクロームを見ていることはあっても、それを一緒に口にすることがない。ファミリーなのに、ファミリーだから、それが少しクロームには悲しい。骸さまがどんなふうに食事をするのか、見たいと思う。目の前にいる男は赤い瞳を黒い睫毛に半分隠してカフェを飲む。二杯目のそれも銀の側近が、立ち去る寸前に口をつけて味を見てから置いていったもの。基本的にザンザスはスクアーロが毒見をした飲み物しか口にしない。それは愛情というものかもしれない。クロームはそれを見るたびに、自分も同じことをしたら、骸は受け取って飲んでくれるだろうかと考える。意図をわかってくれるだろうか。それとも、そんなことをする必要はないと悲しむだろうか。どんな感情でもいいから骸から、向けて欲しいと彼女は思う。いつも心が繋がっていることは分かっている。こんな自分の感情も骸はみな知っているはずなのに、自分は骸の感情を知らない。一方通行なのは、どこか心苦しい。この気持ちは誰にも言えない。もっとたくさん、汚いものも綺麗なものもたくさん、骸から受け取りたい。きっとそれはクロームにとって、どれも大切な宝物になるに違いない。骸は彼女に命をくれた。明日を生きる、目的をくれた。だから彼女のものはすべて、彼のもの。彼が使うために、たぶんこの世界にあるもの。そのために出来ることをするのが、自分の仕事だと、クロームはそう、思っている。もう自分は凪ではない。その名前で呼ばれても、多分もう、答えることはできないと思う。一度死んだ。凪はとうの昔に死んだ。今はクロームという名前の女、彼の女、彼の人の「入れ物」。「ボス、は」 [8回]PR