悪魔の城の悪魔の王様・4 やけに朝日がまぶしい。目覚めは悪くないけれど、頭が動くには時間がかかる。仕事のために動かす脳みそも結局は体の一部、指を動かし手を動かせるのも、結局は体を動かすことに同じ。思ったとおりに指を動かせるということは、体をコントロールできるということに同じだから、そうできるように、起きてから一連の動きを、そのために組み込む。つまりはプログラムするということと同じことだ。起床からの一連の動作はつまりそういうことで、それに沿って動けば、朝食の前にちゃんと、体が準備が整っていることになる。けれども。その朝はちょっと違っていた。普段したことがないようなことを、つまり昨晩したせいだが、そのせいでなんだか、体がふわふわしているような気がするのだが。スパナがヴァリアーの屋敷であてがわれたのは、二階の角のゲストルーム。外に繋がる通路の一番近くで、そこから階段を下りればすぐに裏側の通用口に出る。そこから別棟の技術室へすぐに入れて、移動するには便利な場所、襲撃されるには最適な場所を使っている。シャワーバスがついたそれなりのワンルーム、トイレは別だがゲスト専用で、他にゲストはいないから、一人で使っているようなもの。その部屋のベッドの上で起き上がり、シャワールームで汗を流しつつ顔を洗い、髭を剃る。歯を磨く。そうしながらぼんやり、夕べのことを思い出す。アレが今回の「謝礼」ならば、それは相当価値がある。「あれでよかったのかなぁ…」もう一度思い出す。脳裏にデータを再現する。なるべく詳細に。巻き戻す記憶のリールの精度には、スパナは案外自信があるのだ。朝食の席はすいぶん歯抜け状態だ。隣にいるカエルの少年も、上席にいる暗部の王も、その隣の副官もいない。「スパナおはよう」「おはよう……、あれ、みんないないの」「フランは仕事よぉ。ボスとスクちゃんは部屋で取るから後で持っていくわ」「部屋で?」「そうよぉ。ボスの部屋で。夕べはお楽しみだったみたいねぇ」「お楽しみ?」「スクちゃんの腕、治ったんでしょ? ボス、夕べからご機嫌だったわ」「そうだったの」「そうよぉ」「ふーん」あれは機嫌がよかったのか。珍しく饒舌にしゃべっていた赤目の王、寵臣を撫でまわしながらいつになく、口が回ってよく喋った。声が思いのほか低くて綺麗で、ぞくっとするような色気があって、耳にひっかかる不思議な声だったと思った。機嫌よくスパナに喋りかけ、機嫌よく寵臣を撫で回していた。その寵臣はといえば、ろくに言葉も紡げずに、王の手指で弄繰り回されて、死にそうな悲鳴を上げていたのだ。あれが「お楽しみ」ということか。そう解釈されているということ? ここでは、この、闇の国では。「あれは機嫌がいいのか」「なぁに? スパナちゃん」「…なんでも。ルッス、ハムもっとちょうだい」「あら、珍しいわね」「おなかすいたから」「そうなの? ハムだけでいい?」「あとパン、もっと欲しい。二枚」「じゃ切ってくるわ」王子は珍しく黙って食べているし、ピアスの人は食事中ほとんど喋らない。ヴァリアーの朝食は以外と静かだ。スクアーロがいなければ。「ルッス。今日、午前中にショーイチが来る」「話は聞いてるわ。何かケーキでも出しましょうか」「ん、そだね。ルッスのおいしいケーキ出せば、少しはショーイチも安心するかも」「なにを安心するの?」「ショーイチ、ウチが取ってくわれるみたいなこと、いつも言ってるから」「いやぁねぇ! そんなことするわけないじゃない! ワタシはもっとマッチョが好みよぉ!」「知ってる。ショーイチやウチみたいなの、ルッスの趣味じゃないもんね」「そうよぉ。あなたマッドサイエンティストってガラじゃないもんね」「ウチの興味があることが出来るとこならなんでもいい」「そーゆーとこ、こだわりなくていいわねぇ! ホント、アナタヴァリアーに向いてるんじゃなくて?」「…スクアーロの、腕もだいたい、出来たし」「そうねぇ、明日からまたうるさくなるでしょうよ」レヴィが眉を潜めながらカフェに砂糖を入れているのが見える。「ショーイチが迎えに来たから、帰る」「えー、もう?」 ようやく王子が声を出す。声はまだ眠そう。「そうなの? タルトが余っちゃうわ」「またくるから、今度はパイ作って。シナモンとジンジャーの効いた、オレンジのやつ」「いいわよ」「ふーん。…王子これからまた寝るから、見送りできないのが残念」「ショーイチがおびえるからいいよ、来なくても」「おまえ案外口悪ぃなー」「ウチ、嘘は言わないから」「……ちぇー、スパナ、おめーマジでイイ性格してるよなー」「よくそういわれる」「あら、ベルちゃん、もういいの?」「眠くなる前に寝るー。今日王子非番だから声かけるなよー」「はいはい」だるそうに王子が席を立って部屋を出て行く。本当に眠いらしい。「ルッス、ご飯おいしかった。ありがとう」「あら嬉しいわ。他人に褒めてもらうのは嬉しいわね」「なんかあったら呼んで。ご飯のお礼はする」「ホント? なんでもいい?」「死体の解体以外なら」「あら、ワタシ解体するの趣味じゃないわ。解体すんのはベルちゃんかスクちゃんよぉ」「そうなのか」「あのこたち、切り刻むのダイスキだから」「ふーん」そんなことを匂わせていたことを思い出す。刃物の切れ味とはつまり、人の切れ味、ということなのか。なるほど、聞かなくてよかった。そう言っていた綺麗なサカナは、解体されて食われていた。確かにあれは、おいしそうだ。機嫌のよい王様と、機嫌のよい銀鮫に、少しだけ味を、少しばかりその白身を、舐めさせてもらったメカニックエンジニアは、今朝思い出した記憶を、今度はすぐに記憶の引き出しから取り出して、眺める。食後のカフェを飲みながら、記憶を巻き戻して、またきちんと引き出しにしまう。機嫌のよいドン・ヴァリアー、声を出せない銀の鮫。あつらえた左手は違和感なく動いて、じれったそうに執務室の机の端を掴んでいたっけ。手袋の中の動きが見たかったけれど、さすがに持ち主の許可を得ずにそれをするのはあきらめた。見てしまったらきっと、記憶のデータに支障が出る可能性が高かったから。「元気そうだね、スパナ」「ショーイチ、少し痩せたんじゃない?」「君のせいで胃が痛いよ…」そういって胃を押さえるまねをするけれど、それは本当に痛い証拠。入江は少し顔が青い。二人でプログラムを組んで、システムをいじくって、二人でキーボードとディスプレイを眺めているときくらいしか、最近正一が明るい顔をしていることがない。正一は真面目すぎるんだよな、とスパナは考える。「ウチ、別に問題なくやってるって言ってるじゃん」「そうだけどさ、…」「心配なら、ショーイチもヴァリアーで暮らせばいいよ。しばらく」「えー!? それ無理無理無理!! 僕死ぬから、そんなこと言わないでくれよ」「ショーイチが思ってるほど、ここ、ひどくないよ。ご飯、おいしいし」「…ホント?」「ホント。ためしにそのケーキ、食べない? いらないならウチ、貰いたいんだけど」二人の前にはポットにたっぷり注がれた紅茶と、大きく切り分けられたケーキがある。それ以外に大きな盆に、クッキーやマカロンが山と盛られて、色とりどりの菓子は花のよう。二杯目の紅茶に砂糖とミルクを入れて、スパナはケーキを口にする。黄金色に煮詰められたフィリング、アップルに杏を混ぜたジャムにシナモンをたっぷり。いい香りに脳みそが空腹を訴える。「あっ、スパナ」「ショーヒチ、毒とか、はひってないはら」「口にものを入れて喋らなくてもいいよ!」「はへないならうひにそれちょうらひ」「わかった、食べる、食べるから!」ケーキを口に入れた入江は、目を見開いてスパナを見つめる。スパナはそれにこたえてうなずき、入江がさらに頷く。お皿の上のケーキがあっという間になくなる。ショーイチ、ヴァリアーのご飯は本当においしいんだよ。ケーキなんて、食べたことないくらいおいしいだろ?ヴァリアーのご飯がおいしい理由はなんかわかる。王様とその寵臣がいつも、あんなに綺麗にキラキラしてるのは、ご飯にたっぷり、愛情とかいうものが振りかけられているせいなんだろう。スクアーロにご飯を食べさせるのは楽しいもの、あの人に何かしてあげたくなるの、なんかわかる気がするもの。ここのボスもあの、うるさくて元気で剛毅でキラキラしてるとびきり美人な銀の鮫に、たくさん何かを食べさせているんだろうな。「僕、ヴァリアーってもっと怖いとこかと思ってた…」「人数が少ないせいかな、どこも人がいなくて綺麗だよ。ボンゴレの半分以下しか人がいないんだってさ」「そんなに少ないのかい?」「少数精鋭っていうか、強くないとすぐに死んじゃうらしいから」「ゲホッ」「どうしたのショーイチ」「ううん…そ、そうなんだ。スパナ、ザンザスとは会ったのかい?」「会った。夕べも。機嫌よかったよ」「そうなんだ」「ウチ、ボンゴレ帰る」「え、もういいの?」「スクアーロの義手も作り終わったし、動いてるのも見たから、いい」「そうなんだ…。荷物は」「もうまとめてある」「じゃ、ボスに、…ザンザスに、挨拶しなくていいのかい」「いい。夕べしたから」「そうなんだ。じゃ、僕もお礼を言ったほうがいいのかな」「昼まで起きてこないから、起こすと怒られるかもしれない」「そうなの? いつも? 朝遅いのかい?」「今日はトクベツじゃないのかな。夕べはお楽しみだったみたいだから」「…スパナ、君がそんな言い方をするなんて初耳だよ」「ウチも初めて言った」スパナの言葉に入江は我慢できずに笑い出した。腹をかかえて声を上げて、ひどく楽しそうにハハハと笑った。スパナもなんだか嬉しくて、笑いながら三杯目のお茶を飲む。ミルクと砂糖をたっぷり入れると、脳みそがはっきり、目が覚める。「お茶のおかわりはいかがかしら? あら、少し顔色よくなったかしら、ショーイチちゃん」「あっ、ありがとうございます! …ケーキ、おいしかったです!」「あら、褒めてもらって嬉しいわ」「ルッス姐さんのケーキ、凄い。これがしばらく食べられないなんて、ウチ悲しい。買ったケーキを食べながらルッスのケーキと比較する日々が始まると思うとうんざりする」「まぁまぁまぁ! ごめんなさいねぇ、スパナちゃんを悲しませちゃうなんて、ワタシったら罪なオンナねぇ!」「ケーキ食べに来てもいい?」「ドンの許可を貰ったらね」「そのときはショーイチ、よろしく」「僕が取るの?」「一緒にケーキ食べに来よう」「ウチはパティスリーじゃないわよぉん」「なんでも治すから呼んで、ルッス」話をしながら紅茶のおかわりを入れて、ケーキの皿を下げる。手つきは優雅、骨ばった腕は男のものだけれど、指先は少女のようなベビーピンクがひらめく。「ヴァリアーはどうだった?」「楽しかった。みんながここのボスに心酔するの、ちょっとわかる」「あらそうなの?」「凄い魅力的。ウチ、誘惑されそうになった。悪魔だなって思った」「悪魔は嫌いかしら?」「ウチはスキ」「そう。よかったわ」にっこり、グロスを塗った唇が光る。本当に、この城の王様は悪魔のよう。人を誘惑するのが悪魔の仕事、人を堕落させるのが悪魔の本文。堕落は誘惑、誘惑は快楽。一番単純な快楽は性欲、肌の熱に理性を捨てさせ、けだものにさせてしまうこと。そういえば悪魔の王の持つ匣は、獣の王の形をしていたのだったっけ。さらに悪魔の王様に侍るのは銀の鮫、それは海洋の王の形代を持つ。でも本当は本質はそれでなくて、悪夢を誘う夢の悪魔ではないのかと、そんなことをふと思う。男の夢を誘うのは、美しい女の姿をした悪魔、みだらな夢で精気を吸い取り、身も心もトリコにしてしまうらしい。話に聞いた跳ね馬の執心も、雨の守護者の執着も、確かにあれなら納得も出来ようというもの。無意識の優しさ、美しい容貌、男を引き寄せるには十二分なその花の蜜は甘くて、一口舐めたらきっと、毒のように染みるだろう。けれども人には過ぎたもの、それは悪魔、その名は大罪。夢魔の誘いに勝てるのは、悪魔の城の王しかいないのだろう。1と0の数字の間にも悪魔はいる、魔物は潜んでいることを、メカニックの青年は知っている。機械は悪魔でも天使でもある、つまりはどちらにも傾く、天秤棒の真ん中にいるということと同じ。知識を得るために悪魔と取引をしたという話が数知れないとすれば、知識はつまり、罪悪なのだろう。神様の教義によれば。いいや、本当は世界は神様の作ったゲームなのかもしれない。同じ世界の違うところに、あの人と同じ彼がいて、あの人と何度でも出会うことを考えてみれば、きっと。「なんかいいことでもあったの、スパナ」「イイコト? あったよ、たくさん」「そう? 後で教えてくれないか」「いいよ。おもしろかったよ、とても」帰りの車の中でぼんやり、外を見ながらスパナは考える。ショーイチはパソコンを叩きながら話をする。本部のシステムを弄っているせいか、最近とても忙しいらしい。ショーイチは割となんでも自分でやりたがって、人に仕事を任せたくないらしいけど、そんなことしてるといつか胃に穴が開くんじゃないのかな。「ショーイチ」「ん?」「今夜、イイコト教えてあげる」「今夜? なにかあるのかい?」「ん。あっちのボスと、スクアーロに、教えてもらったことがあるんだ。だからね」「ふーん?」ウチも誘惑されたのかもしれない。おいしいご飯も堕落のうち、おいしいお菓子も堕落のうち。あの人たちは悪魔の城に住んでいる悪魔、人間を堕落させるのが仕事、地獄へ送るのが仕事なのかもしれない。気持ちいいことを教えるのが仕事、気持ちよくなる方法を教えるのが仕事。そうして人を、奴隷のように使うのが仕事。まぁ、ウチは別にどこでもいいんだけどね。おいしいご飯と、おいしいお菓子と、好きなことが出来るなら、天使の宮殿でも、悪魔のお城でも、どこでもね。そう思いながら、スパナは薄い唇を舐めた。-----------------------------------終わりどころが見えないので無理矢理終わる元はスパナはヴァリアー行っても凄い違和感なさそうって話をリボコンアフターにしてたところから…だったような?一年間期間限定で出向してモスカの新型開発とか(剣帝さまの新しい義手作ったり←剣帝さまは無駄で無理な注文をするのであやうくロケットパンチみたいになりそうだった)いろいろなものを無駄に作りまくっているとかそういう話ルッスのご飯がおいしくて一年で10キロくらい太ってムチムチに!ジャンニーニみたいになって正一に「スパナぁあああ!」って嘆かれるとか、ダイエットのため自家製の飴がシュガーレスなるとか(本末転倒)スパナ謹製の飴を「頭がよくなる飴」とかいって売り出してるとかそういうwww←最後のありそうあっ一応まぐわってないから [13回]PR
悪魔のお城の悪魔の王様・3 外側をシリコンだけ巻くのでは重過ぎる。骨組みはチタンにマイクロファイバーを編みこんで、薄く延ばしたシリコンを重ねた間に緩衝材を薄く、薄く伸ばして挟み込んでいる。透明度は必要ないが、伸縮度が微妙に違う材質を張り合わせるのは案外骨が折れたらしい。あんまりしっかり固くても駄目で、関節のところで曲がる必要がある。普通の手ほど曲がらなくてもいいけれど、不自然にならない程度には、ゆるく。爪の先まで再現されたまがい物の指の中はコードとパイプ、仕掛けに電気は使わない。電動の仕掛けは案外誤作動を引き起こしやすい。最近は赤外線がそこいらじゅうに回っているのだ。歯車もできるだけ少なくして、シャフトは頑丈に、故障は最小限に。中身を取り出して点検出来ないので、丁寧にしつらえる。全体の重量が少し増えた分、肘に補助の固定具をまわして、重みを分散するようにする。左のほうが筋力があるのは確かだが、あまり負担が増えてもよくない。軽くするのと頑丈にするのは正反対な要望だが、彼の「仕事」を考えれば、それは必要最低限な機能。幸い金銭面に関しては、何を使ってもいいといわれている。「確かにちょっと重いなぁ」「動きはどう」「んー? なんか、少し、重心が…」「どっちにずれてる?」「前…かな」エンジニアは偽者の手を握って、マジックでしるしをつける。ここらへん? いやもう少し前。ここらへん? あと少し。5ミリくらい。 ここ? あと2ミリ右ってとこかなぁ。小指の角度を少し内側に削って、人差し指が少し短く。腕の接続部分が動かすとずれるからなんとかしてくれ、そうだねそれは内側を少し削ればいいかもしれない。腕、痛くない? 材質にアレルギーが出るかな?新しい義手は前のものより少し長い。柘榴との戦いでもぎ取られた腕の分、左手の手首から少し先までの前回とは、そのぶん少し重くなる。「義手が重い分、剣を軽くするか、短くしたほうがいいんじゃないのかな。肩と背中に負担がかかると、今はいいけど、そのうち腕が上がらなくなると思う」「そうだなぁ、考えてみるぜぇ」「幸い、ドン・ヴァリアーは資金に糸目をつけるような人じゃないみたいだし。特にアンタには」「そうだなぁ、切れない刀に価値はねーだろぉー」「そういえば日本の刀って」「ん?」「途中から武器としての意味よりも、持ち主を災いから守るって意味のほうが強くなったって。魔物や悪霊や不幸や間違いを断ち切ることが出来るから、ってんで、子どもが生まれたら、守りの刀を作ったりしてたらしい」そんなことを言うメカニックに他意はないように見える。見えるがしかし、若い外見でもミルフィオーレのメカニックとして、そしてチョイスの参加者として、ものを作ることにかけては比類なき才能の持ち主。プロトタイプのモスカのデータのオリジナルを持っているヴァリアーの倉庫の中で、ニュータイプのモスカの実用実験をするための機体を作っている日々。それはどちらかというと「オマケ」の用事。プロトタイプモスカのデータと毎日のおいしい食事と引き換えに、ドン・ヴァリアーがドン・ボンゴレに請求したのは、副官の義手の新規製造とメンテナンス。本当は、そのためだけに呼び寄せたメカニックエンジニアを、もっともらしい言い方でこの暗殺部隊の屋敷に出入りできるようにさせただけ。機密漏洩の意味も含めて、エンジニアはその間中、本部でほぼ軟禁されているような状態。けれどスパナはそれを嫌がるわけでもない。モスカを作れるならどこでも実はどこでもかまわない。ドン・ボンゴレのイクスバーナーをコントロールするコンタクトレンズはほぼ完全版で、細かいバージョンアップくらいしかすることがない。それよりも今はドン・ヴァリアーの持つ憤怒の炎のほうが興味深く、それを身近で観察できる今の環境のほうが、メカニックには好ましい。さらに三食おいしい食事が出てくるのも、仕事に関しては文句を言われないのも、実はボンゴレよりもこちらのほうが、スパナにとってはいい環境でもあるといえる。入江正一はドン・ヴァリアーが怖くて、滅多にやってこないのが唯一の難点だけれど、声もデータも連絡も、毎日しているから、スパナにしては問題はあまり、ない。快適すぎて最近、体重が増えてしまって困るくらいだ。「日本の刀の切れ味は確かにいいよなぁ。細い分、折れやすいのが難だがなぁー」「使ったことあるの」「あるぜぇ。1本くらいはあるんじゃねぇかなぁ」「持ってるの」「小刀と、あと長いのがあるはずだったけどなぁ…」「へぇ。使えるの」「何度かなぁ」「どうだった」「使い勝手かぁ? それとも、切れ味かぁ?」「使い勝手のほうがいい。切れ味は知ってる」「それはどんな意味でだぁ? 俺が知ってるのは一つだけだぜぇ」「…そうだね、ウチ、それは知ってても意味ないから、…別にいい」「そうかぁ」縁起の悪い話をさらりと、しながら新しい義手の具合を確かめる。スクアーロの腕の先に繋がれた義手には、まだ計測コードが繋がっているが、動きはスムーズだ。「いつ治せる?」「これから削るから夜にまた来て」「いいぜぇ」さばさばした気性の副官は、案外誰とも相性がよくて、技術的なことにしか興味のないメカニックの会話もきちんと、繋がっているように聞こえる。実際はどちらも、自分のことしか興味がないのだけれど。「そーいえば前から気になってたんだけどよぉ」「なに」「首のそれ」そういって、珍しく素手の右手で、目の前の男の首筋、ツナギの襟の間からちらり、見えるうなじに手を伸ばして。「どういう意味なんだぁ?」頚動脈の上、急所に刻まれた刻印のようなかたちの紋章に、長い形のいい指が触れる。「これ? んー、目印かな、一応」「目印?」「うちの癖、ここ触るの好きだから。目印、つけておくといいかなと思って」「? 意味あんのかあ?」「一応、うちの家の、紋章、のつもり」「家紋ってやつかぁ? じゃあおまえんち、わりとイイウチなのかぁ?」「一応会社やってるから。会社のマークは違うけど、家の紋章の中にこれがある」「へー」すっと手を離した右手をちらりと目にして、あ、そういえばこの手、ウチの息の根なんか感嘆に止められるんだっけ――ということに、スパナはようやく気がついた。やけに綺麗に整っている爪先が、磨かれてキラキラ光っている。 [12回]
悪魔の城の悪魔の王様・2 「はぁーい! こんにちは! 今日も来たのね、メカニックさん」「今日、なに」「今日はスコーンよぉ! アプリコットジャムとレーズンバターとけしの実入りよ。タルトは三種のベリーでちょっとスパイシーに決めてみたわ」「どっちもおいしそうだ」「ちゃんと手を洗ってきねぇ!」「うん」男は胃袋で捕まえるものよ、なんといってもベッドとキッチンを掴んでいれば、男なんていくらでも捕まえられるものなの。それが身上だと豪語する陽気なオカマの腕は確かで、実はこっそり、別名で書いているブログが評判になって、お菓子の本も出したことがあるのだ。ヴァリアーの幹部たちはその事実は知ってはいるが、その本を見たことはない。本になど興味はない、実物が目の前にあって、毎日その実物を食べられるのだから必要などないのだ。最近そのカフェのテーブルに増えたのは、ボンゴレの本部から出向というか研修というか、勝手にやってきた毛色の変わったメカニックの青年。あまり表情が出ないのんびりとした顔立ちの、けれど性根は見た目以上に闇に染まっている背の高い細い体の男。ヴァリアーに所属する隊員は誰も、一応は至急される上下を身に着けているのだが、彼は黒と白の集団の中でただひとり、カーキのツナギで建物の中をうろうろすることを許された人間だ。ヴァリアーというのは奇妙な集団で、基本的には何もかもが自由であるように見えるけれど、そのくせ、内部規律はボンゴレの本部よりよほど厳しい。失敗=死であることが現実的な場所であるからには当然かもしれないが、それにもまして、生活の取り決めが案外細かいのに、最初スパナは驚いた。朝は9時、昼は12時、夜は7時に、屋敷にいる限りは幹部は全員、ダイニングへ集まって食事をすることが義務付けられている。屋敷にいる限りは、よほどのことがないかぎり、食事の時間には絶対に参加しなければならないらしい。さらにそれ以外に午後3時にはお茶の時間があり、これもその時間にダイニングに行けば、暖かいお茶とお菓子が準備されている。仕事をしていても休憩を取ることをすすめられ、必ずカフェの一杯でも飲むように、と促されるのだ。食事が人生の楽しみたるイタリアンの端くれでもあるエンジニアは、その休憩の意味もよく理解していた。3時間ごとの休憩は仕事の区切りでもあるが集中力の限界でもある。それ以上長時間を休憩なしに仕事をしても、能率はあがるどころか下がるばかりなことも知っている。脳細胞に炭水化物を与えなければ、どうにもならないことを知っているから――自分で、その成分をすみやかに補給できるようにと、飴を作って食べたりしてもいたのだが。「どうかしら?」「すごい、ルッス、うまい」「今日もよく出来てるなぁこのタルト」「生地ちょっと替えてみたのよぉ~、今日はソースをゼラチンで固めてみたわ」「もいっこちょうだい」「ウチも」「お替わりもあるわよ」ちゃっかり、幹部専用の談話室のテーブルの、蛙の幻術師の隣に座って、跳ねた髪のエンジニアが皿を差し出せば、そこにもう一つ、ベリータルトが乗せられることになる。隣の少年もその隣の王子も、目の前のタルトに大喜び。それを向かいの席で眺めている銀髪の副官は、なんだか妙な風景だと思いながら、器用に一口に切られたケーキを口に運んだ。利き腕でない手だと気がつかないほど、その動きはスムーズだったが、さすがに片手ではケーキを切る分けることが出来ない。前は皿を肘で押さえてケーキを小さく切っていたことがあったけれども、上席の赤瞳の王が、あからさまに不愉快そうな顔をしたので、それ以降あまりそのようにしては食べないように心がけるようになった。ルッスーリアも心得ていて、スクアーロの分だけ、一口で食べられるよう、出される前に切り分けてある。人前では完璧なマナーで食べることが出来るが、それはそれ、家の中でもそれを貫くのはいささか今は骨が折れることであるだろう。「気に入ったのかぁ?」「ん?」「おめぇ、思ったよりヴァリアーにあってるぜぇ、スパナ」「ウチもそう思うよ」「ハハ、そうかよ」もぐもぐとタルトを切り分けながら、スパナはスクアーロの言葉に返事をする。当初ヴァリアーにやってきたより肌の色艶が段違い、少し体に肉がついてきて、細い不健康そうな体は、がっしりした技術者らしい体に変わりつつあった。「ヴァリアーはご飯おいしい。ウチの好きな日本食もおいしい」「まぁうれしいわ! もっと褒めてちょうだい!」「いくらでも褒める。ルッスのごはん、すごい。こんなおいしいご飯、食べたことない」「おめーよっぽどひどい食生活してたんだなぁ!」「イタリアンの名折れよぉ~スパナちゃん」「食べた分はちゃんと仕事するって言ったけど、返せるかどうかわからなくなった」「俺の手はそんなに高くねぇぜぇ?」「そんなことない、と思うけど……。うん、でも同じくらいかもしれない」「それって私が高いのかしら? スクちゃんの手が安いのかしら?」「ウチ、自分の技術を安売りはしない主義」「まぁ、それは嬉しいわね!」褒められて、オカマはピンクのハートのエプロンを翻し、うふふと笑いながら自分の分のお茶を飲んだ。「俺の腕ぁいつ出来るんだぁ」「外が固まるのに時間かかったけど、中のギミックはもう組んであるよ。明後日ごろには組み込み終わるから、そしたらつけてみて」「わかったぁ」-----------------------------------だらだら続きそうなのでこのあたりで [13回]
悪魔の城の悪魔の王様・1 三度三度のおいしい食事はさすがの不精な習慣も変える。口は何より、頭に通じている。頭は体の中で、一番エネルギーを食う重要な機関。体が動かなくなることはイコール、頭が動かなくなること。指先の精度、思考の速度、それを高めるのは何も、日頃の訓練や技術だけではない。「ショーイチ、ウチ、このままここに住みたい」「何言ってんのスパナ!」「だって、ココ、ドルチェうまいんだもん」「それが理由なのかよ!」「頭、すっごい回るんだよ。ショーイチも一回、ルッスのティータイム、来るといい。話しとく」「僕が? ヴァリアーに?」「うん」「無理無理無理無理! 絶対無理! スパナ、僕を殺す気なのか!?」「絶対無理って言うなって、ショーイチいつも言ってるじゃないか」「それとこれとは、」「別じゃないよ。楽しいよ」「スパナ、それは」「ウチ、しばらくこっちにいるから。じゃあね」「スパナっ! ちょ、スパナってば!」ボンゴレの本部からヴァリアーのアジトへの直通回線は、無常にも向こうから切られてしまう。ヴァリアーの通信回線は非常に高度なセキュリティがかかっていて、一回アジトから回線が切られると、同じ回線をしばらくの時間、使うことができないようになっている。直接スパナの携帯に電話をするしか方法がないが、スパナのことだ、携帯の充電など忘れているに決まっている。あとは、直接、連れ戻しに行くしかない。「あそこに行くのか…? 僕が…?」入江正一はそういいながら、すでにキリキリと胃が痛み出していることを感じていた。独立暗殺部隊ヴァリアーの噂を聞いたことがないわけがない。入江はミルフィオーレに潜入していたころは日本方面を主に担当指揮していたが、イタリアの情報も全て把握していたのだ。ボンゴレの本部を破壊した後もなお、存在が確認されていた彼らのことが、全てが終わった後になっても、正一には少し苦手だ。向こうも彼を快く思っているとは考えにくいだろう。「うう…、胃が痛い…。僕がいったいどうやって、綱吉くんに許可を貰えばいいんだ…?」正一はぶつんと切られたテレビ電話の画面を眺めて、はぁっとため息をつくばかりだった。-----------------------------------リボコン終わってから異様に回るので少し吐いてみる結局今週のジャンプ読んでないまま次が出るわー [13回]
俺のカス鮫がこんなにかわいいわけない・2 やっちまった……!!!ザンザスは久しぶりに後悔というものをした。彼は滅多にそんなことをしたことがないように見えるが内実は結構後悔というか痛恨というか必殺の一撃を食らったことを何度も何度も反芻して後悔したり後悔したり後悔したりすることが結構多かった。完璧な無表情と元から感情を表に出さない性質と、それから長年の帝王学やそのほかもろもろが彼を無愛想で無表情で不機嫌な御曹司たらしめんとしたが、而してその内実は実に繊細で叙情あふるる一青年に過ぎなかった。本人がそれをあまり認めようとしてなかったし、そもそも彼の求める相手がそれをほとんど察することが出来なかったせいもあるだろう。やってしまった。ザンザスはがっくりとうなだれて傍らで転がっている白い薄い体を見た。背中に浮かんだ汗に長い髪が濡れて張り付いているのが見えた。ごろんと転がって、すうすう気持ちよさそうに寝ている小さい形のいい頭を見た。あたりの惨状にはとりあえず目をつぶった。畜生このカスザメが今日は妙にカワイイ顔してるのがよくねぇんだ、なんでこいつはこんなにカワイイ顔してやがるんだえええ? 俺の目がおかしいのか、キラキラしてて目があわせられないじゃねぇか、なのに一分でも多く見ていたくてしょうがねぇのはどういうわけだ、まったく俺はどうかしてる。まったくもってどうかしていた。かわいいカワイイアホでバカで美人でかわいくて脳みそが足りなくてかわいくてしょうがなくいカスザメは今夜も無防備な格好で部屋にやってきて酒を飲んでザンザスにしなだれかかってきた(ように思えた)。この酒おいしいなぁ~と言いながら、今年の新酒のシーズンに出回り始めたワインを楽しそうに飲んで、つまみを少し食べて、けらけら笑ってソファに頭を乗せて、ザンザスを見た。見上げた。長い睫毛が少し濡れていて、そこに少し落とした明かりが反射してものすごかった。何がってスクアーロが凄かった。なんだあれは神話の女神か伝説の美女か、それともルーブルに強奪された神の使いか、天井に舞うバラの花びらもかくやの美しさだった。とにかくむちゃくちゃ綺麗だった。心臓が止まった、これはもう絶対に一回か二回は軽く止まった。けれど表面は全然、そんなことがないように見えた(少なくともスクアーロには――スクアーロはかなり雰囲気に酔っていたので、普段から少ない空気を読む能力が完全に欠如していた)。完全にキスを誘われていたのはわかったが、しかしザンザスはそこで、はたしていままでどうやってスクアーロとセックスしてたんだっけ?ということを思い出せなくなっていた。本当に真っ白になってしまって、いままでこんなかわいい男とどーやってあれやこれやあんなことやそんなことをあはんうふんあんあんをしていたのか、思い出せなくなっていた。どういうことだ。スクアーロがこんなにかわいいことと何か関係があるのだろうか。いきなりこのカスザメがキラキラしたりするのとこの突発的な記憶喪失は関係があるのだろうか。ザンザスはそんなことを一瞬考えたが、しかしまるで毎日の習慣のおかげで手足も指もスムーズに動いていたので、ザンザスは習慣てすげぇ、と内心思ったのだった。そんなこんなであはんうふんな雰囲気になったのはいいが、とにかくカスザメがかわいくてかわいくてかわいくてなんだかもう滾って滾ってそうがないので、ザンザスはスクアーロをベッドに押しつけて、うつぶせになったスクアーロの体をガツガツ容赦なく扱った。最近はそんなことをしていなかったのでスクアーロはなんだかうまくあわせられず、しかしそのせいでこれまた絶妙に感じてしまったらしく、声がとにかくエロくていやらしくてどうしようもなかった。顔なんか見なくても限界突破しそうだった。というか顔なんぞ見たら非常にやばいのではないかと思うほど、それはそれは危険きわまりない状態になった。ヤバかった。顔を見たがってキスをしたがる頭をシーツに押し付けて、背中からガツガツ突いて抉って揺らして出した。俺はセックスを覚えたてのガキか!と自問したくなるほど酷かった。おかげで三度目が終わったら、スクアーロはうんともすんとも言わなくなっていた。最後は泣き出して、でも結局止められなくて、手を振り払おうされるのか、引き寄せられたのかわからない状態になって、ぐちゃぐちゃでどろどろになってしまった。あんまり静かなので引き起こしたら半分気絶していて、それでも体は反応していて、なんだかもうたまんなくなって抱きしめたらすごい勢いで絞り取られてひとたまりもなくなってしまったりした。ものすごく気持ちがよくて気持ちがよくて、それでもってようやく気がついたら、スクアーロは完全に気絶していて、力の抜けた長い手足をぐちゃぐちゃのベッドに横にしたら、気持ちよさそうな寝息が聞こえてようやくほっとして我に返った。まったくなんだってんだ、なんでこんなことになってんだ。こんなことするはずじゃなかった、もっとこう…いろいろ…いや、いろいろじゃなくてそっと…じゃくて…あああ、そうじゃなくてそんなことじゃなくて。混乱しながらザンザスはベッドの上ですうすう眠っているスクアーロを見た。スクアーロはあんなにひどく抱かれたのに、妙に気持ちよさそうな顔をして、すやすや眠っていた。それがまたものすごく可愛かった。可愛くて可愛くて可愛かった。見ているといつまでも見続けていられそうだった。このまま見ているとさすがに寒いので、ザンザスは汚れたままのシーツにもぐりこんで、死んだように眠っているスクアーロの顔を見ることにした。スクアーロにもシーツをかけて、上から羽毛布団をかけた。肩が寒そうだったので抱きよせて、ベッドヘッドに並べた枕に引きずりあげて、至近距離でしげしげと眺めた。目元が赤くなっていて、そんな色のアイラインを引いているように見えた。スクアーロがなんでこんなにかわいいのか、ザンザスには今夜もさっぱりわけがわからないままだった。 [22回]
俺のカス鮫がこんなにかわいいわけがない・1 その日、ザンザスは何度目かになるかわからない感覚に翻弄され、ほとんど呼吸が満足に出来ない状態だった。息も絶え絶えで、意識も時々ブラックアウトした。早い話が目をあけたまま気絶しては覚醒するのを繰り返していた。いつもどおりにほとんど表情がかわらず、しゃべりもしなかったので、目の前にいる人間に知られることはなかったのが唯一無二の幸いだ。「…このファミリーの南のほう、小さい町があるんだけどよぉ、そのファレンナを仕切ってるマリアーノ・ベッツァが今回の情報をよこしたとこだぁ。裏取ったが信憑性は8割ってとこだな。で、この入江にアルバニアから船が入ってきてる。それを調査し、密貿易の内容の証拠を取ってくるのが今回の任務で、情報屋からのネタで現場を押さえた結果、密貿易の荷物は…」ザンザスの執務室の机の前で今回のミッションの内容の説明をしているスクアーロを、ザンザスはさっきから穴が開くほど真剣に見つめている(ように見える)。スクアーロは至極真面目に仕事の報告をしているだけなのだが、ザンザスはスクアーロが部屋に入ってきて、こうして説明をしている間、大変に困ったことが自分に起こっていることを実感した。そもそも最初からおかしかった。スクアーロが戻ってくるのは二週間ぶりで、今回の任務のため、少し離れた海沿いの港町にしばらくとどまっていることになった。間に別の用事が入ったり、予定が延びて現場を押さえて証拠を取る日が変更になったりで、一週間の予定が倍になった。そのせいかどうかはわからない。わからないが、天井の高い石つくりの廊下を歩く大きな足音が聞こえてきたときから、ザンザスの頭の中では教会の鐘の音が鳴り響いていた。幻聴に間違いはないが、しかし、それは確実に音を大きくし、スクアーロの足音と同じリズムでザンザスの耳の中で響いている。「ボス! 久しぶりだなぁ!!」相変わらずノックもしないでスクアーロが部屋に入ってきたときには、まさに耳をつんざく勢いの大音響で、リンゴンリンゴン、ザンザスの耳の中で鐘の音が鳴り響くばかりであったのだ。しかも。「あ、…ああ」なんだかありえないほどスクアーロがかわいく見える。ザンザスはいよいよ自分の目がおかしくなったんじゃないかと思った。スクアーロが部屋に入ってきたときから、スクアーロの周りに何かキラキラキラキラしたものが見えるのだ。それがスクアーロの髪や頬や唇や瞼に乗って、動くたびにキラキラキラキラ光って見える。しかもなんだか、スクアーロが部屋に入ってきた途端、ものすごくいい香りがしたような気がするし、ものすごく気持ちいい風が吹いてきたような気がするのだ。気のせいだ…と思うことも忘れて、ザンザスはその状態に軽く眩暈を起こした。そしてそのまま目をあけたまま気絶した。「ボス? どうしたんだぁ? 疲れてるのかぁ?」「あ、…いや……任務の報告、しろ」スクアーロの声で目が覚めた。目が覚めたとたんに口が勝手に言葉を続けた。条件反射っておそろしい。ザンザスは何も考えずその言葉を口にして、あっと思ったが後の祭りだった。「あ゛あ! ちゃんと報告書作ってきたぜぇ!」「読め」「おう」うわー!! なんでそんなこと言ったんだ俺!!!ザンザスは自分が何を言ったのかそのときまったくわかっていなかった。目が覚めたらやっぱり、目の前のスクアーロは長い銀の髪がキラキラしていて、白い頬に少し血が巡っていてほんのりと赤くなっているのがキラキラしていて、瞬きするたびに目元に光の小さい粒が集まっているみたいにキラキラしていた。唇は相変わらず薄かったが血色がよく、荒れていなくてキラキラしていた。報告書をめくる皮の手袋も、だいぶ着古していたが手入れがいいようで、塗りこんだハンドクリームが部屋の明かりを反射してキラキラしていた。とにかくスクアーロの全身から、固くて小さい音がするようで、キラキラキラキラシャラシャラしていた。そして報告書をめくる指先が愛らしく、長い前髪を耳にかける仕草が猛烈に可愛らしく、静かに話し始める声がいつもの割れた声ではなくて静かな低い声だったので、それがまたものすごく可愛らしかった。……なんだかスクアーロが猛烈に可愛く見えて、ザンザスは困ってしまった。こんなことがあるわけがなかった。カス鮫がこんなにかわいいわけがないのだ。こいつは今年二十五になった独立暗殺部隊ヴァリアーの次官のスペルビ・スクアーロなのだ。こんなにかわいくてかわいくてかわいいなんてわけがない。だからこれは俺の気のせいだ。気の迷いだ。病気かなにかだ。そうに違いない。こいつが俺に移したのに違いない。俺に移して置きながら、こいつはどうなんだ、こいつはこんなことになったりしていないのか。なんだか許せん。そう思いながらザンザスは、報告をするスクアーロを、じっと見つめていたのだった。本人は見つめていたつもりだったが、いつにもまして機嫌が悪く、目つきも悪く、眉間の皺は一割増しで、ほとんどにらみつけるような顔で見つめていたので、スクアーロ本人は、仕事が伸びたのでボスさん怒ってるのかなーと思っていたのだった。 [21回]
また会いましょう 空がどこまでも高かった。「すげぇいい天気だなぁ!」「そうだな」「ドライブ日和だぜぇ!」「日に焼けそうだ」「そうかぁ?」「サングラスはしたほうがいい」「ん、…したほうがいいかぁ?」「キスするときに目が赤いと興ざめだ」「そっか」言われてようやく、ブルーグレーのサングラスをかける。2シーターのオープンカーの幌を跳ね上げて、ハイウェイを走る。助手席には綺麗で頭の足りない愛人、普段のシャツを脱ぎ捨てて、ザンザスは珍しく襟のないシャツを着ている。量販店で買ったTシャツに赤いフランネルのシャツジャケットがよく似合っている。店内のポスターよりも男前だ。同じく隣で外を見ながらはしゃいでいる愛人は、長い銀の髪を半分に切ってしまっている。腰まである髪は背中の半分までになって、軽くなったぶん風によくなびく。ばさばさ煩いほどだけれど、それは耳に心地よい音楽のようでもある。排気音にまぎれて、それほどよくは聞こえないのが惜しい。色違いのTシャツに派手なピンクのボーダーのフリース、緑のチノで決めて、ちょっとトウがたったロッカーのよう。カジュアルな格好もちゃんと似合うのだと、改めてザンザスは気がついた。「すげぇなぁ!」高速は山を登ってゆく。ゆるやかなカーブを曲がりながら空へ向かっているかのよう。目前に迫る山肌に、助手席の恋人が手を伸ばして、捕まえるようなしぐさ。「あの山にダイブしちまいそうだぜぇ!」スクアーロは珍しくずっと笑っている。朝からとても嬉しそうで、いままでに見たことがない顔でずっと笑っている。それはかつてみた14歳の子供の顔に似ていたが、それよりもずっと綺麗で――そう、それが綺麗なものだと、認めざるを得ないほどに――ずっと磨かれていて、育っていて、まさに花の盛りの風情だった。煩いと思っていた声も、うっとおしいと思っていた髪も、少しもザンザスに苦痛を与えない。与えることは、もうない。「してみるか?」「はっ、本気かぁ?」「いいぜ。しても」本気だとそう告げても、きっと信じはしないだろうけれど。「車の片付けすんの面倒だろぉ! まぁ死んじまったら俺たちにゃー関係ねぇけどなぁ!」ここへきてまだそんなことを言うあたりがなんだかひどくおかしい。「どこがいい」「海がいいなぁ」「海か」「山でもいいなぁ」「そうか」もう何もかもが面倒だ。何もかもが行き詰まりだった。けれどひとつだけ、わかっていることがあった。「行くか」「どこ行くんだぁ」「どこでも」「どこでも?」「どこでも」もうどこにも、一人でいきたくはない。 [9回]
テイクアウト 最近休みをあわせて街に出るようになった。いままではスクアーロがあまり乗り気でないザンザスを連れて外に出ることが多かった。けれど先日、ザンザスの誕生日に何を贈ればいいのかわからない、というスクアーロに、「おまえの一日を全部よこせ」とザンザスが言ったのだ。何か思うところがあったのか、ザンザスが先導して街に出た後から、すっかり立場が逆になってしまった。今日もザンザスはスクアーロの手を引いて、お気に入りのサンドイッチの店に向かう。なぜかはわからないが、ザンザスは最近出来たこの店が非常に気に入ったらしい。前からどうしても行ってみたかったらしく、誕生日の翌日、私服のラフな格好でふらりと街に出て、スクアーロが「最近出来た店だぁ」と言ったのについ、ひかれて入ってから、とりつかれたように毎回、スクアーロを連れて行くときはいつも、その店に向かってから、街を歩くことにしているのだ。一人で歩き回っても別に問題はない。ボンゴレの十代目はすでに東洋出身の青年に継承されて久しい。ザンザスの裏の仕事は表に出ない。彼の本当に姿を知っているのはもれなく同業者ばかりで、知っている人はもちろん、こんなところで彼を襲うような愚は犯さないから、その実彼は大変に安全な身の上だ。それでも彼の副官は、彼の情人は、長年の習いを変えることなく、一人で彼を外出させようとはしない。そうなると、結局二人で一緒に外出するしかなくなってしまう。傍目には完全にただのデートに過ぎないけれども。「ローストビーフ」ザンザスが頼むものはいつも肉だ。「またかよぉ」「俺はこれが気に入ってるんだ」「カロリーすげーじゃねぇかぁ」「気にすんな」「するぜぇ!」そんなことを言うスクアーロはいつもツナかターキー、カロリーの少ないさっぱりしたもの。オーダーを出しながら、スクアーロはいつもザンザスが、「野菜はこちらが入りますが」と聞かれた後で、さりげなくパプリカを抜こうとしているのを止めてしまう。舌打ちをしながら、絶妙のタイミングでスクアーロが自分の分を注文している間に、ソースをハーブ&バジルから、バーベキューに変えてやった。スクアーロがオニオンを増量させている。輪切りのトマトがはみ出す。倍のサイズのパンズに、あふれるほどの野菜と肉を挟み、さらにトッピングにホースラディッシュを追加する。スクアーロは毎回、ザンザスの分量を見てはうんざりした顔をする。スクアーロのオーダーはザンザスの半分のサイズに野菜があふれている。まずいまずいといいながら、カフェを頼んでしまうのを見て、ザンザスは少し笑ってしまった。包みを持って丘へ登る。天気がいいので、あちこちでみなが持ってきた食べ物を広げて食べている。飲み物の持ち込みが許されているが、タバコや火気は厳禁だ。公園の中には掃除人が巡回していて、ゴミ箱以外にゴミを捨てると罰金を取られる。はむっとパンズにかぶりつく。ゴマの練りこんであるパンズは歯ごたえがあって、重い。ザンザスは歯ごたえがあるものが好きだ。重厚で頑丈なものが好きだ。そうでなければ、ザンザスの熱に耐え切れず、焼けて焦げて溶けてしまう。隣で同じようにパンズにかじりついてるスクアーロのような、重くて強くて頑丈でなければ。バーベキューソースは味が濃い。途中で買ったジンジャエールがちょうどいい。ジャンクフードを食べるザンザスを、スクアーロは最初ものめずらしそうに見ていたが、ようやく慣れてきたようで、今日はこちらをあまり見なくなった。見なければ見ないで、少しつまらないような気がすると思う。スクアーロは昔、あまりおいしそうに食べ物を食べない子供だった。懸命に大きな口にものを詰め込んで、咀嚼して、飲み込むので精一杯、という食べ方をした。ザンザスはそれが気に入らなくて、ちゃんとしたテーブルマナーを叩き込んだ。教えればちゃんと覚えて、すぐになんとか見られるようになったけれど、その結果を確認することが出来たのはずっと後のことだった。それでも当時のスクアーロは、あまり食べ物をおいしそうに食べていたような記憶はない。二十二歳のスクアーロは、本格的なディナーも、それはそれは綺麗に食べられるようになったけれど、それは綺麗に食べているだけで、まったくもっておいしそうではなかったのだ。決められた手順の通りにきちんと食べるように、教わったことをただ繰り返しているだけにしか見えなかった。今はそうではなくなった。ちゃんと食べ物を「おいしそう」に食べるようになった。食べながら、ちゃんと、「うまい」とか「おいしい」とか言うようになった。視線に気がついてスクアーロがこちらを見ている。何かあるのかと聞きたそうな顔をしているが、口にものを入れているので、しゃべれないらしい。ザンザスも口にパンズを含んだままなので、互いにもぐもぐと咀嚼しながらしばらく見つめあう。意図せずに。「あ」「ん?」何か言いたいわけではないのに口を開いて、結局何も言えずにまた口を閉じる。そして手の中のパンズを食べる。気がつくとまたスクアーロを見ているザンザスをスクアーロが見る。スクアーロの手の中のサンドイッチはなかなか減らない。結局食べ終わるまで三回、二人はなんとなく見つめあうことになった。なんとなく。 [11回]
山は山、川は川 「いやーすげぇとこだったぜぇ!」帰ってきた足取りが重いのが気になった。車の音はいつも通り、けれど玄関のポーチを抜けて吹き抜けのリビングで荷物を降ろす音には、隠しきれない疲労がある。五感は若いうちよりはかなり鈍くなってはいるが、聞きなれた声も足音も、機微を感じ取れないほどではない。くるくる変わるもそうだけれど、基本的にスクアーロはザンザスに嘘をつけないのだ。「そうか」「これ土産だぁ。後で冷やして食べようぜぇ」荷物の一番上から袋を出してテーブルの上に置く。それから洗わなければならないものを取り出し、洗濯するものを出して、バックを空にしながら、使った道具をより分ける。大量のパンフレットも別にして、上着を脱ぐ姿にキッチンに立つ。水を渡す。「風呂沸いてる」「ありがとうなぁ。もう入ったかぁ?」「入った。おまえも入れ」「ん」「メシは」「なんかあれば。なけりゃいいぜぇ」「豆腐に肉味噌、夏野菜のサラダが残ってる。食え」「おっ、すげぇ」「酒出すか?」「梅酒がいいぜぇ」「よし、行って来い」浴室に向かう背中が少しくたびれていて、さすがに疲れているのだと知れる。足音に覇気がない。キッチンから先はさすがに土足ではなく、そこで靴を脱いでぺたぺた、足音が浴室に消える。外見はバリバリの洋館でも、水周りは日本の様式になっている。浴室とトイレは別になっているのは確かに便利だ。浅い風呂桶に湯を張ってあるので、すぐに入れるようになっている。入るごとに湯を払う方式ではないが、帰宅の電話を貰ってから、時間に合わせて湯を少し足した。気持ちよさそうな声が漏れ聞こえる。体を洗って戻るまで、少し時間があるだろう。ザンザスは冷蔵庫を開けて、夕飯の残りを出した。「思ったより厳しい道だったんだぜぇ…暑かったし」「そんなにか」「登山口が町の中でよ。登ればそうでもねぇんだが、今日暑かったんだろ?」「そうだな、35度とか言ってた」「だからかぁ。山の上だってのに、すんげぇ暑かったんだぜぇ」「そっちも町の最高気温は33度だって出てたぜ」「そりゃすげぇ…道理で汗が冷えても寒気がしなかったはずだぜぇ」湯上りのスクアーロの顔は少し血行がよくなっている。梅酒に氷を入れたものをちびちび、舐めるように飲みながら豆腐を口に運ぶ。食欲はあるようだ。「ちゃんと揉んだか?」「ん? そりゃあなぁ。時間がなくってウォームアップが適当でよぉ、参ったぜ」「寝る前に揉んでやろうか」「そうかあ!? ありがとうなぁ!」朝早く準備をして出て行ったスクアーロは、今日は雲雀と笹川了平と一緒に、何かのツアーに申し込みをしたらしい。車で行って落ち合って、電車で移動してバスに乗って、経路はきちんと説明されたけれど、ザンザスは興味がないので適当に聞き流している。楽しそうに今日の話をする顔色は悪くない。今年の夏に入る少し前、風邪をこじらせて寝込んで体力を落とし、真夏の間は高原で避暑をすることになったのだ。湿度は低くないが高原の空気は体を癒し、毎日歩いて走って体力を戻し、久しぶりに山に登ってきたせいか、スクアーロはとても楽しそうにキラキラ、表情がくるくる変わる。「肩は」「平気だぜぇ。今日は軽いのにしたしよぉ」食事をするスクアーロの、左手の指は三本しかない。これは日常に使うための義手だ。シンプルな仕組みだが、おおよそのことは普通に出来る。無骨でそっけない外見だが、ものを掴むのに三本の指があれば十分なのだ。見目は悪いが、外装用に五本指が揃っているものよりも、体にかかる負担が少ない。右と左の体の筋肉のつきかたの違うスクアーロの、落ちた体力を気遣う男の言葉には、長年の生活の妙が漂った。「もう大分平気だぜぇ」「おまえの平気は信用できねぇ」「んなこと言うなよぉ」スクアーロのいう大丈夫は信用できないということは、ザンザスが彼について最初に覚えたことだった。スクアーロは基礎体力が馬鹿のようにある男だが、自分の体の不都合よりも、ザンザスのそれを優先する姿勢をかえるようなことはない。それは16と14で出会った当初から30年以上も続いていて、それについては自分が気を配らなければならないと、ザンザスはかなり前にしみじみと実感し、それは今も続いている。ヴァリアーを引退して、日本に二人でやってきてから、もう五年がたつ。スクアーロは今年五十になった。祝いに東京のホテルで一泊、レストランで食事をして、新しい指輪と義手を送った。今使っているのがそうだった。その義手に器用に梅酒のグラスを挟んで、うまそうに酒を飲む姿をしみじみと眺める。頭の中のシャッターを押して、それを頭の中のアルバムに収める。「なんだぁ?」「いや、……」「なぁ、もうちょっと涼しくなったら一緒に行こうぜぇ」「そうだな。考えておく」「まぁあんたは好きじゃな…え?」「景色のいい場所を探しておけ」いままでほとんど同行の返事をSiと答えたことのない男が、初めて諾の答えを返すのに、スクアーロが驚いて目を見張る。どんな心境の変化があったんだ、と思っているらしいことがザンザスでなくてもすぐに分かった。「マジかよ。足が痛くなっても車は回せねぇぜぇ」「俺が一緒に行くのに問題があるのか?」「ねぇよ!…ねぇけど、」「ならいいじゃねぇか」そういて笑うザンザスの顔に、スクアーロが何も返せなくなることは知っている。知っているからそれを使う。それを使っていうことを聞かせる。二人でいられる残りの時間はそれほど長くないことを、いまさらながらに感じただけだ、とは、けして本人には言わないけれど。「寝るか」「あ、…ぁあ……」ぽかんとした顔のスクアーロは、いつ見ても、何度見ても本当におもしろい。出来れば死ぬまで、見ていたい。-----------------------------------別の話を書いていたのに終わらない……。いい加減拍手の話も変えたいです。拍手ありがとうございます!! [14回]
海へ出るつもりじゃなかった まるで魚のようだ。水面に浮く白い頭が、大きく息を吐く。長く伸びた髪が、水中で生き物のようにうねる。白い肌のほとんどを覆った魚が、慣れた手つきで道具を外す。「ボスー!ボスも見ろよぉ!魚たくさんいるぞぉ! 楽しいぜぇ!」そういって笑う額に濡れた髪がかかる。長い髪が濡れてはりつくと、スクアーロの頭がいかに小さいものなのかがよくわかる。嵩のない銀の髪が、小さく形のよい頭蓋骨にぴたりと張りつく。銀の髪は夏の海の強い日差しで、キラキラ光って、まるで白髪のようにも見える。「スクちゃーん、あんまり肌焼くと明日が大変よぉ~!」パラソルの下で完全に肌を隠してルッスーリアがこたえる。その割にはアロハシャツを纏い、水着を履いた足はむき出しだ。日焼け止めを必死に塗っていて、今も塗りなおしているが、声は酷く楽しそうだ。「わかってるぜぇ!」そういいながら、シュノーケルとゴーグルをセットしたスクアーロが、また水の中に顔をつける。そのまますーっと泳いで、岩場をぐるっとまわりこんでいる。水面にかすかに、ぴっちり着込んだダイブスーツの色が見える。足ヒレのフィンがときおり水面に出てくるが、それ以外はずっと、銀の髪が水面で輝いているのを、ザンザスは目で追っている。「ああん、スクちゃんのお肌が羨ましいわぁ。あんなに白いのに、日に焼けても赤くならないんですもの」「……そうなのか?」思わず問い返したザンザスの言葉に、ルッスーリアが驚いてこちらを振り向く。「あれ? ボスはご存知なかったかしら。スクちゃんったら、あんな白くて、日に焼けたら赤くなってしまいそうなものなのに、すっごく肌が丈夫なんですよ。焼けても少し赤くなって、ちょ――っと焼けただけで、秋には元に戻ってしまうの。うらやましいったら!」「焼けるのか?」「すこーしですよ。ちょっと元気だな、ってくらいの。元が白いから、逆にとっても健康的に見えますけどね。普通のイタリア人よりも薄いのよ、それでも」そんなことを聞きながら、日に焼けたスクアーロを見たことがあっただろうか、とザンザスは記憶を辿ってみた。今のスクアーロと一緒に暮らし始めてから、そろそろ十年が過ぎようとしている。夏のバカンスにかこつけて、仕事を組んで海に、ヴァリアーの幹部たちでやってきたことは何度もある。あるけれども、スクアーロが日に焼けて、そうだ、海で遊んだ後で、肌が焼けただの痛いだの、言っていたことがなかったことを思い出した。「見たことがねぇな……」「そうでしょう?」「跡なんかあったか…?」「まぁ、あの子、体に脂肪がほとんどなくて、泳いでると冷えるからって、いつも着込んでますからね…」そんなことを言いながら、ルッスーリアは浅い水辺ではしゃいでいるベルとフランを眺めている。少し離れた岩場の近くの波の洗い場所で、レヴィがゴーグルとシュノーケルをつけ、スクアーロと同じように水底を眺めているのが波の合間にちらちら見える。レヴィはダイビングの資格を持っているので、本当はただ泳ぐだけの行為など、つまらないと昔は言っていたが、最近はぼーっと浮いているのを楽しめるようになってきたようだ。沖合いで泳げるのはレヴィとスクアーロだけで、浮いている時は基本的に一人でいられるから、内心いちばん楽しんでいるのがレヴィなのかもしれない。焼けた砂浜の上に敷いたシートと大きなパラソルの下、折りたたみのリクライニングチェアに座っているザンザスとルッスーリアは、吹き抜ける風を浴びながら海面を眺めている。岩場で泳いでいたスクアーロが、ようやく海から上がってきたようだ。白い髪をかきあげながらだるそうに波打ち際を歩いてくるスクアーロは、細い無駄のない体を、手首と足首まで、ぴったりとした日焼け防止の衣服で覆っている。足は水が抜ける靴、手には岩場で怪我をしないように手袋をして、装備は完全であるらしい。鮮やかな紺とスカイブルーの長袖と八分丈のラッシュガードに包まれた白い体は、夕べのひどい乱れようなどどこにも残ってはいない。しっかりした足取りでこちらに歩いてくるスクアーロの、華やかな笑顔を眺めながら、ザンザスは今朝の夢で見た、十年前のスクアーロの、頼りない腕の感触を思い出していた。 [11回]